音楽

2021年8月25日 (水)

シャカタクShakatakuの衝撃

Shakataku-night-birds

1982年の夏過ぎに、イギリスで一風経路の変わった楽曲がヒットチャートの上位に躍り出た。フュージョンバンドのシャカタク(SHAKATAKU)がリリースしたNight birdsである。当時ロック、ポップス、R&Bが中心のヒットチャートに、いきなりフュージョンという、いわゆる喫茶店のBGMのためにあるような分野のバンドが入って来たので驚いた記憶がある。なお、フュージョンというのは「融合」という意味の英語である。音楽分野では、ジャズから派生した他の音楽との境界領域を攻めたものを言うようだ。まあ当時の扱いとしては、「ジャズ崩れ」という感じであった。

Night birdsの和訳歌詞を以下に示す。

風に乗りながら
夜を突き抜けて飛んでいる
夜鳥は美しい翼で
都市の明かりに向かっていく
暗い空を突き抜けて
ゆっくりと鳥たちは降りてくる
再び夜に向かうために
夜鳥はその日に別れのキスをする

このNight birdsもそうだが、シャカタクの基本はベースの小気味よいカッティングと8ビートのリズムに乗せて、生ピアノと爽やかな女性コーラスがさりげなく絡み合うという、実に大人の楽曲となっていた。その傑作群はNight birds、Invitations、Stranger、Easier said than done、Dark is the nightあたりだろう。ロックは汗臭く、ポップスはちょっと前の日本で言うところのジャニーズやAKBよろしく商業的で実質中身がない、R&Bは黒人色丸出しでクセが強い、という、ヒット曲はどれもどっちつかずの状況のところに、いきなり上から高尚でしかし親しみやすい楽曲が突き刺さった印象を受けたものだ。
あれから39年の月日が過ぎて、もうシャカタクのメンバーも既にもうろくする年齢でほとんど活動していない。しかし、当時シンプルだがクオリティーの高さで度肝を抜かれた楽曲群を聞き直してもみて、39年経過しても全く時代の経過を感じさせないレベルをキープしている。39年経っても錆びない曲を、39年前に衝撃を持って聴かせてもらったということで、今更ながらメンバーにはお礼を申し上げたい。

 

2020年3月 7日 (土)

1983年ショック:洋楽と邦楽のギャップがひどかった

Kyodaibune-vs-karma-cham  

1983年というと、今から37年前になる。このブログにアクセスした人のほとんどが当時生まれていないか、生まれていてもなんの記憶もないだろう。しかし、慶は鮮明に記憶が残っている。慶は、この前年に展示品の安い、しかしスピーカーの大きな「ラジカセ」なるものを買って貰って、ひたすらFMラジオで、ヒット曲の録音をして独自のライブラリーを作っていた。今では死語となっている「エアチェック」である。レコード(コレも死語)を買う余裕がなかったので、エアチェックは生命線だった。

思春期の学生である慶にとって、最初に集めたいのは日本のヒット曲である筈なのだが、この当時は松田聖子、中森明菜、小泉今日子、シブがき隊などのヒット曲がある程度で、これとてガキっぽくてどうしようもないと思って聞いていたものだ。この年の邦楽のうち、演歌はやたらと当たり年で、現在でも有名なヒット曲が目白押しであったものの、当然学生にとってはオヤジ、じいさんの曲ばかりで、アイドル楽曲以上にどうしようもない。

1983年邦楽ヒット曲一覧
鳥羽一郎/兄弟船
大川栄作/さざんかの宿
梅沢富美男/夢芝居
細川たかし/北酒場, 矢切の渡し
ヒロシ&キーボー/3年目の浮気

アイドルと演歌の中間としては、杏里のキャッツアイ、村下孝蔵の初恋あたりが売れていたが、しょせん一発屋のヒット曲である(個人的には村下孝蔵はもっと活躍して欲しかった)。当時からサザンとかユーミンとか長渕剛などもいたし、同級生はそういうのにハマっているのも居たモノの、やはりぐぐっと来るレベルではないし、そもそも同級生よりは格好つけたい年ごろでもある。

せっかくラジカセを買って貰ったのに、聞くべき曲があまりないということで、エアチェックの対象は洋楽の方に向かう。そうすると、1983年を含む1980年代、特に1980年代の前半は洋楽の大隆盛期であり、ぞっとするほど大量のヒット曲がイギリスやアメリカのヒットチャートを賑わしていたのである。1983年の主立ったヒット曲を並べるだけでも以下のようになっている。

1983年洋楽ヒット曲一覧
ポリス/見つめていたい
マイケル・ジャクソン/スリラー, ビリー・ジーン, 今夜はビート・イット
アイリーン・キャラ/フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング
メン・アット・ワーク/ダウン・アンダー
ダリル・ホール&ジョン・オーツ/マンイーター, ワン・オン・ワン
カルチャー・クラブ/君は完璧さ, タイム, Karma Chameleon
デュラン・デュラン/ハングリー・ライク・ザ・ウルフ, プリーズ・テル・ミー・ナウ
デヴィッド・ボウイ/レッツ・ダンス, チャイナ・ガール
TOTO/アフリカ
プリンス/1999, リトル・レッド・コルベット
フィル・コリンズ/恋はあせらず
ジャーニー/セパレイト・ウェイズ
マドンナ/ホリデイ, ラッキー・スター
ネーナ/ロックバルーンは99
シンディ・ローパー/Girls Just Want to Have Fun
ロッド・スチュワート/Baby jane
クール&ザ・ギャング/ジョアンナ
ポール・ヤング/Come back and stay
ライオネル・リッチー/オールナイト・ロング
ユーリズミックス/スイート・ドリームス, Who's that girl
フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド/リラックス
ビリー・ジョエル/あの娘にアタック
ヒューマン・リーグ/Fascination
ニュー・オーダー/ブルー・マンデー
ネイキッド・アイズ/僕はこんなに
ハワード・ジョーンズ/ニュー・ソング
イエス/Owner of a lonely heart
Wham!/バッド・ボーイ, クラブ・トロピカーナ
カジャグーグー/君はToo Shy
ブライアン・アダムス/フロム・ザ・ハート
ジョー・ジャクソン/Steppin' out
トンプソン・ツインズ/ホールド・ミー・ナウ
ロマンチックス/Talking in your sleep
マイケル・センベロ/マニアック
ガゼボ/アイ・ライク・ショパン
クォーターフラッシュ/ Take Me To Heart
スパンダー・バレエ/トゥルー, ゴールド
アース・ウィンド&ファイア/フォール・イン・ラブ
ハービーハンコック, Rockit

たった1年でここまで耳馴染みのヒット曲を排出した年は他に類例がないのではないだろうか。それも、ポリス、デビッド・ボウイ、ホール&オーツのようにアダルトなものから、デュラン・デュラン、カルチャークラブ、カジャグーグーのようにイギリスの軽いノリのポップまで、実に多様である。まさにヒット曲が爆発状態で、ラジカセを買ったばかりで手ぐすね引いていた慶はどっぷり洋楽にハマってしまったのは当然である。今思えばなんと言う巡り合わせだったのだろう。

これらのヒット曲を毎週まとめて聞ける番組が「DIATONEポップスベストテン」であった(現在はCOSMOポップスベストテン→コスモポップスステーションとして継続)。オープニングのタイトルコールが、ステレオで聴いていると左から右に駆け抜けるようになっていて、思い出すだけで懐かしい。東京FMをキーステーションに、毎週土曜日の14時から1時間、生放送でヒット曲が流れる。これを聞いて、最新の洋楽ヒット曲に耳をならしておき、これらのヒット曲を全曲流してくれるNHK-FMの番組を狙って曲を録音していたのである。まさに世界に開いた唯一の窓で、まるで言論統制の厳しい社会主義国家の国民が隠れてアメリカの放送を聞いているようなものに近かった。

この1983年の洋楽と邦楽の落差があまりにひどいので、以後音楽に関して、慶は無類の西洋びいきになってしまったような気がする。日本ではパンチパーマの演歌歌手が漁船に乗ったり、タンスを担いだりしている映像で、イギリスやアメリカではMTVという番組で、マイケル・ジャクソンが映画ばりの凝った映像や、カルチャークラブのようにきれいに女装して歌っているなど、地球の裏側ではとんでもない状態になっていた。当時パイオニアのレーザー・ディスクなる最新のデジタル映像再生システムが売られている時で、デパートの家電売り場でマイケル・ジャクソンのスリラーの映像を見た時のショック度は未だに覚えている。この1983年の洋楽と邦楽の落差があまりにひどいので、日本が音楽の世界で西洋にキャッチアップしたとは思っていない。もちろん、音楽だけみて国家間の優劣は付けれないのだが、その圧倒的な力量の違いは未だに強烈な記憶となっている。

2014年4月14日 (月)

懐かしのアナログオーディオ:レコード再生用カートリッジ

レコードを再生する場合の心臓部はカートリッジだ。レコードに刻まれた溝の振動を針先で拾い、これを電気信号に変換する重要部品である。これこそ、究極のアナログテクノロジーである。溝の変化を忠実に拾うために設計されているから、傷だろうが埃だろうが何だって音に変換される。
このレコード針の振動を電気信号に変換する方法によって、大きく2つのタイプに分かれていた。いわゆるMM(Moving Magnet)型とMC (Moving Coil)型の2種類である。一般人は安いMM型が中心であるが、オーディオ好きや放送局はMC型が多用されていた。値段が5倍ぐらい違うし、何より針がすり減って交換する場合はMM型は針だけ差し替えれば良いが、MC型はまるごと新品と交換する必要がある。また、MC型は起電力が少なく、そのままだと音量が低くて使えないから、特殊な増幅器(アンプ)を間にかませる必要がある。しかし、音質だけで言えば、高音側で圧倒的な能力を持っているMC 型に軍配が上がる。だから、高級オーディオ機器や、放送局では、レコードのカートリッジは例外なくMC型を採用していたのである。自宅のレコードプレーヤーがMC型ということだけで、即刻「金持ち」の証であった。
このMC型カートリッジで、放送局用に採用されていたのはDENONのDL-103シリーズである。ある意味、名器中の名器である。今でもオークションで出回っているようだ。これなくして、日本のFM放送は成立しなかったのである。もはやデジタル化によって出番が無くなってしまった。残念である。このMC型カートリッジを開発したDENONという会社もデジタル時代に経営規模が縮小を余儀なくされ、今では音響システムやヘッドフォンを中心とした小さいブランドとして残っている程度である。慶は今でも大学生の時に購入したDENONのヘッドフォンAH-D210を20年以上愛用しているが、これを越える音質のヘッドフォンには未だに出会っていない。今後も小さくともキラピカとする高級ブランドとして残って欲しいものだ。
Denon_dl103

2013年11月29日 (金)

懐かしのアナログオーディオ:さらばレコード(その2)

レコードを再生するには「レコードプレーヤー」が必要である。ターンテーブルという円盤を乗せるゴムの台があり、右奥に「トーンアーム」という、軽いアルミ製のパイプがセットされていて、その先端に「カートリッジ」という針を収納した小さいヘッドが装着されている。カートリッジは、原始的な「ねじ止め」である。音楽を聴く時はターンテーブルを回転させるスイッチを入れて、所定の速度に設定した後、レコードの外縁をじっと凝視し、刻まれた音源がない、すなわち、濁っていない黒くて透明な部分に手でそっとカートリッジを乗せる。高級なレコードプレイヤーは赤外線センサーがあって、この動作をオートでやってくれる。針が落ちた瞬間に「バリッ」と異常な音がするが、それは一瞬であり、その後しばらくジリジリというノイズが入った後、第1曲目が始まる。実に懐かしい。2曲目、3曲目と飛ばして聞きたい時には、その都度カートリッジの横に小さく飛び出しているつまみを持ち上げてカートリッジをi一旦離脱させ、次の溝を狙って針を落とす。この原理はエジソンの蓄音機から何ら変わらない。今のようにボタン一つ、一瞬で次の曲に行けるなど、夢のまた夢のような技術である。
このアナログ技術の最たるものだったレコードは、当然トラブルも多い。まずレコードが埃で汚れるとジリジリとノイズが激しくなる。埃を取ろうとおもって専用のベルベット生地のクリーナーで拭くのが、拭く度に静電気が発生して余計に埃がつく。だから帯電防止剤入りのスプレーをかけてから拭き取るのがセオリーだった。ジリジリはまだ良い方で、溝が傷ついたりすると音飛びがする。ひどいとまるで円広志の夢想花よろしく、同じフレーズがリピートして前に進まなくなったりする。レコードは直径が30cmもあって、タダでさえ持ちにくいから、どっかにこすりながら落としたりしたら最低1~2曲分は死んだと諦めるしかない。さらにレコード針の先端はダイヤモンドを加工して固く作ってあるので、再生を繰り返すと溝がすり減って徐々に音質が低下する。特に高音側の劣化はひどく、極端な場合、1回かけるだけで音質が悪化する。だから、買ってきて最初の1回目の再生をテープに録音するのであった。すなわち、レコードは消耗品だったのである。アナログ機器の最たるものだった。
だからCDが最初に出てきた時の衝撃は今でも忘れられない。原音に忠実でノイズはないし、何度聞いても音質が劣化しない。選曲も一発・一瞬なのだから。まさにデジタルの夜明けであった。レコードで飼い慣らされた人間のほとんどが、CDの音を聞いた瞬間に、それまで100年近く慣れ親しんだレコードをあっさりと捨ててCDに走ったのは当然であった。

2013年7月20日 (土)

懐かしのアナログオーディオ:さらばレコード(その1)

年末になると「日本レコード大賞」があり、これは慶が小学生ぐらいから延々とやっているイベントだ。このレコード大賞というのは、ある歌手がその年の業界を制覇したことを証明する賞なので、実に厳かなものであった。沢田研二やピンクレディーが受賞して、涙ながらに歌っているのを見て、この賞の厳かさに子供ながら感動したものである。今でもそういう雰囲気は残しているが、賞を取るかどうかよりも、いかに儲けたかだけが重要視されているような気がする。売れれば歌唱力も何も関係ないという拝金主義だけがはびこっているような気がしてならない。AKBが2年連続受賞などというのを見ていると、まさに拝金主義の極みだと感じた。また、複数年度同じ歌手あるはグループが受賞する傾向もあって、「ネタ切れ」の感も否めない。まあEXILEは間違いなく現代日本で最高峰のグループだから、何度受賞しても文句は出ないと思うが。
さて、その「レコード」。平成生まれの人々は「レコード」をスポーツ競技の「記録」と勘違いしている人がいてビックリすることがある。我々の世代以上の古株でレコードといえば、今のCDと同じく、音楽盤である。あの、黒くでかく、ツヤツヤとした塩ビ製の円盤だ。

Analog_record

これが磨りガラスのようなポリエチレンの袋に入り、次に正方形の「ジャケット」と呼ばれる厚紙でできた紙袋というか紙封筒に入っていた。さらに新品はその上にラッピングがされていた。ジャケットには裏表にアルバムを象徴するような写真や挿絵があって、これは今のCDの表紙と基本的に同じである。しかし、直径30cmもあるアルバムに描かれたジャケットと、今の小さいCDのジャケットではインパクトが全然違う。このジャケットの見た目ならレコードが最高である。
このめっきりお目見えしなくなったレコードとは、一体どういうシロモノだったのだろうか。

2013年5月31日 (金)

おしゃlet's、世界征服、だだだだ

きゃりーぱみゅぱみゅの新曲「インベーダーインベーダー」がさっそくリリースされた。ここ3曲ばかりは2ヶ月に1曲のハイペースでシングルがリリースされている。この曲はユニクロブランドであるg.u.のCMソングにもなっているから、当然大ヒットしている。YouTubeの再生回数は、まだ半月しか経過していないのに既に450万回である。「にんじゃりばんばん」は1,600万回に達しているし、2年弱前にリリースされた「PONPONPON」に至っては、4,929万回の再生回数である。この手のまだメジャーでないアーティストとしては破格の人気である。
きゃりーのPVのコメントを見ていると、およそ半分ぐらいは海外からのコメントである。それを見ると、「キュートだ」「自分もおしゃれしたい!」「むちゃ気に入った」と好意的なコメントと、「こんなものは音楽ではない」「なんだこのガキは」「全然意味不明」と評価が真っ二つに分かれている。しかし、ここが肝である。評価が真っ二つに分かれるということは、とにかくインパクトがあるということの証明である。すなわち、毒々しいのである。これこそが、きゃりーのきゃりーたる所以である。決して普通であってはいけない。世界に一つを目指すべきである。狂気の沙汰の少し手前でオシャレとキュートさを最大限アピールすることが彼女の最大のキャラである。このコンセプトはデヴュー曲のPONPONPONのPVに凝縮されているし、それを支えるプロジェクトメンバーもそれを良く理解している。
きゃりーはハッキリ言って、原宿HARAJUKUの世界化戦略の切り札なのである。慶の世代だと、原宿というと竹の子族がたむろする不良少年少女の集まる場所というイメージがあるが、これは30年も前のことである。原宿は日本のティーンエイジャー女子が、「粋」という価値観だけで、その時代時代で挑戦的なストリートファッションを編み出してきた、ある意味でファッション界のストリートファイター、チャレンジャーが集うホットスポットである。ルーズソックス、厚底ブーツ、ガングロ、デコ電など、原宿から拡がったスタイルはかなり多い。特にルーズソックスや厚底ブーツは海を越えて世界じゅうのティーンエイジャーを魅了した。もちろん、ほぼすべてが既成概念を否定するものであり、常に世の大人の嘲笑を買ってきた。それでも熱狂的な支持者は絶えず、かのシンディー・ローパーに至っては、この原宿ファッションをべた褒めである。このチャレンジャー精神は途絶えることなく、未だに進化し続けている。何事も長く続けることだ大事だ。今や原宿も渋谷も、少なからず世界の流行ファッションに影響を与えつつある。その頂点にきゃりーが存在するのかもしれない。
この新曲は、世界企業であるユニクロのCMであり、「おしゃれの世界侵略だ」と銘打っている。深読みすると、もしかしたら、ただならぬクールジャパン、サブカルチャー輸出攻撃のファンファーレなのだろうか。とりあえず、どうなるか期待したい。

Kyally_invador

2013年4月 4日 (木)

見逃したMTVが今頃視聴できる

今もそうだが、慶が中高生の頃、洋楽はMTVという音楽専門チャンネルで放送されていた。残念ながらイギリスやアメリカの音楽専用の有線放送だったから、日本では視聴できない。ただNHKが洋楽の紹介ということで、土日の番組の合間にできたわずかな空き時間で、1~2曲新曲の映像を放映していた。しかし、これはチラ見せ程度の放送であって、自分が見たい、聞きたい曲の音楽ビデオをフルで見ることはできなかった。 しかし、今はインターネット全盛の時代で、しかもYou Tubeなどといった投稿型の動画サイトに行けば、昔見ることができなかったヒット曲の音楽ビデオがいくらでも視聴できる。画質は悪いが、音質は当時より良い。十分にタイムトリップして楽しむことができる。今は何とすばらしい時代なのだろうか。一人ではできないことを、皆で協力し合って共有する。書籍の限界をインターネットは易々と越えてくれる。 さて、慶が好きだった80年代の音楽ビデオと言っても、そんなに凝っていた訳ではない。アーティストが室内外で口パクで演奏したのを編集で繋いだり、ボーカルだけがドラマ風のストーリーに合わせて歌う程度で、今のような特撮やCGを駆使したようなものはほとんどない。まあ、そもそも音楽は楽曲の善し悪しが主であり、映像技術が発達していなかった30年も前の話だから、そこは割り引いて考えなければならない。そうした中ではマイケルジャクソンのスリラーは最先端の特撮と統一されたモダンなゾンビダンスが革命的だったし、ドナルド・フェイゲンのNew frontierは核戦争をイメージしたアニメと、「核シェルター」という日本では存在しない施設が刺激的で実に良く工夫が凝らしてあったものだと今更ながら確認できる。 MTVなどのプロモーションビデオのうち、屋外で撮影された動画を見ていると、そこの国の地勢や習慣などの特徴が良く出ていて勉強になる。スタイル・カウンシルのMy ever changing moods(名曲ですな)やアズテック・カメラWalk out to the winter(これを知っている人は相当に通である)などを見ていると、イギリスのアーティストはアメリカほどプロモーションに金をかけることができないので、外で撮影しているのが多い。イギリスは一年中、海から偏西風が吹き付けるために曇天であり、冷たい霧雨含みの風がビュービューと吹きさらし、実に殺風景である。正に冬の日本海と同じだ。連中のストイックさとしぶとさは、きっとこの気候と関係あるに違いない。日本でも裏日本側や東北の人たちはイギリス同様にストイックでしぶとい。

Styl_counc_mecm 逆に常春であるカルフォニアのミュージシャンであるデイブ・リー・ロスやヒューイ・ルイス&ザ・ニュースはアホみたいに開放的である。ずっと暖かい沖縄の人は楽観論者ばかりで、「なんくるないさ~」なので、常春の地域では人も楽天的になるのだろう。

2013年3月28日 (木)

遊ぶな、ちゃんとやれ中田ヤスタカ

前のブログで中田ヤスタカはただ者ではないと言ったが、年明けからリリースされた「きゃりーぱみゅぱみゅ」の2曲「ふりそでーしょん」「にんじゃりばんばん」を聞いてガッカリした。何なんだこれは。フレーズはサンプリングばかりで、思いつきの構成。きゃりーぱみゅぱみゅは今が一番の旬のアーティストである。こんなアニメのエンディングテーマレベルの楽曲を提供して、恥ずかしくないのか。やる気がないならさっさと手を引くべきだし、本当に遊びたいなら、アニメに楽曲を提供すれば良い。何でこんな中途半端なものを出すのだろうか。
まあ「つけまつける」も相当なものだ。あれほどバカらしい歌詞はないが、そこはPVのできの良さ、少女の夢想のあどけなさで何とかカバーできている。何よりデビュー作としてはインパクトが必要なので、これで良い。ただ、「ふりそでーしょん」 はいただけない。「アタシ、アタシ、ハタチ、フリソデーション」。成人式に合わせてリリースしたからこれか。それで衣装は振り袖ではない。ずっと同じ衣装で、ダジャレのようなフレーズを繰り返すだけ。何なんだこれは。人をバカしているのにも度が過ぎている。
そして次は「にんじゃりばんばん」。きゃりーぱみゅぱみゅが忍者の格好して、アニメが後ろで踊っているだけ。この楽曲は、きゃりーぱみゅぱみゅに忍者の格好をさせたかったというだけで、明らかに楽曲が後付けでだ。これでは何にも芸術性がない。ただのアホの夢想である。一体中田ヤスタカはどうしたというのか。プロとしての意識はどこに行ったのか。これではきゃりーぱみゅぱみゅがピエロで、あまりに可哀想だ。
ただこういう独特の世界は中田ヤスタカにしかできないのは事実である。ネタ切れでスランプに陥っているのか、個人的に色々あって投げやりになっているのか知らないが、他にチェンジできるものでもない。とにかく楽曲を急ぐ必要はない。質が重要だ。ここはもう少し落ち着いて、きゃりーぱみゅぱみゅや事務所などと良く向き合って方向性を定め、まともな作品を提供して欲しい。Perfumeも同じだ。

2013年1月31日 (木)

ただ者ではないぞ中田ヤスタカ

年をとってくると、自分がティーンエイジャー時分に聞いた曲ばかりを繰り返して聞くなど、最近の若者が聞いている楽曲に全く興味を示さなくなるのが常だ。これもある意味、老化の兆候である。慶に限ったことではないから、深刻に気にする必要はあるまい。何の曲を好きになるか、個人の勝手である。「そんな曲古~い!」とバカにされても、知ったことではない
そういう慶ではあるが、はまっている新進気鋭のミュージシャンがある。何とPerfumeときゃりーぱみゅぱみゅである。これをカミングアウトすると、ほとんどの周りの人間から、「ああ、ロリコンだったんですね」と冷たい言葉を浴びさせられる。ロリコン...何と投げやりな感想なのだろうか。「いや~、楽曲に惚れているのであって、歌っているのがたまたま若い女性陣だっただけ」と否定しても、どうせ言い訳としか取られない。確かにきゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」をオッサンが聴いていたら、社会通念上ロリコンに違いない。勝手にロリコン扱いするのは自由だが、そういう趣味は全くない。
Perfumeもきゃりーぱみゅぱみゅもいわゆるテクノポップの現代版である。どの楽曲も近未来の雰囲気の中に、少女の空想の世界、抑揚のない歌い方による無機質感を漂わせながらも、何かメッセージ性だけは強い。実に独特のノリである。取っつきにくいが、一度ハマルと中毒になる。このPerfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも、すべての楽曲を提供しているのは、マルチクリエーターである「中田ヤスタカ」氏である。聞くと、Perfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも、歌い方のすべてに中田氏の指示が細かく飛んでいるそうだ。忠実にやらないと許して貰えない。なぜにそこまで管理したがるのだろうか。
この中田ヤスタカ氏は典型であるが、最近は楽曲作成に楽器を全く使わないという手法が普通になりつつある。いわゆるシンセサイザーというのが1970年代に登場して以来、生の楽器を使わなくても曲のベースができあがるというのが年々進行している。あの懐かしのYMOの楽曲は、生楽器を使用しないシンセサイザー中心の組み立ててあり、テクノポップと言われた。当然だが、中田氏の楽曲スタイルもこれに習ったものである。すべての音源はパソコンの中に「サンプリング」されていて、これをソフト的に如何様にも変化させることができる。音符も楽曲もなく、パソコン上の画面で、キーボードとマウスを使用して音楽を組み立てるのである。楽器は一切使わない。これは作曲なのか、画面の編集なのか良く分からないが、できあがりは素人には分からない。だいたい音質がパソコンで作ったとは思えないぐらいクオリティーが高い。
中田氏の頭の中には音楽のイメージだけがまるでクラウドのように浮かんでいて、その時々の雰囲気やニーズに従って、引き出しの中から自分の音源を選び出し、切り貼りで曲を仕上げていく。まさに右脳だけで曲を作っている感覚である。サウンドはパソコンからナンボでも自由に引っ張り出して加工できるが、ボーカルは生身の人間が歌うものだ。ここで中田氏はサウンド同様に、ボーカルにも、自分のサウンド・リズムに忠実に歌うよう強要するのだ。ボーカルも彼にとってはサウンドの一つに過ぎない。それ故に、全体の統合性は著しく整えられている。だから、最終的に受けるのである。こういう右脳だけが極度に発達した人間はただ者ではない。まだ若いそうなので、クリエーターとして、より腕を磨いて欲しいものだ。最後に一言注文。全体の曲は素晴らしいが、ドラムの音源は潰れていて安っぽく、あまり洗練されていない。これではメジャーに位置づけるにはまだまだほど遠い。もっと改善すべきである。
それにしても、きゃりーぱみゅぱみゅの「ファッション・モンスター」はティーンエイジャーの気持ちを代弁した名曲だなぁ~

Fashion_monster

誰かのルールに縛られたくはないの、我が儘、ドキドキ、このままで居たい、ファッションモーンスター、ファッションモーンスター、この狭い心の檻を壊して自由になりたいの

2012年12月29日 (土)

Kポップサイが世界を制した

韓国人ラッパーであるサイ(PSY)の「ガンナムスタイル」という曲が世界じゅうでヒットチャートの1位を独占した。そのPVビデオの再生回数は7億回を超え、この手のモノでは史上最高を達成してギネス登録も間違いないということだ。アジアの曲がこれほどヒットしたのは、坂本九以来ではないかとのこと。凄まじい受けようだ。 この曲は何よりPV映像が重要である。YouTubeなどで無料視聴できる。歌詞は朝鮮語で歌っているから、聞いている世界じゅうの人は全く意味を理解できていない。でも、映像としては非常に迫力があって面白いし、だいたいのストーリーは分かる。韓国人お気に入りの七色に装飾されたケバいカラオケバスや、「アパート」と呼ぶ巨大マンション、日本と同じく彫物が入ったヤクザが闊歩するサウナなどが映像に写し込まれていて、なかなか笑える。総じて何かえらく気合いだけ先走りしてグロいのだが、例の馬ダンスが実によく洗練されていて、見た人なら必ず真似したくなるものだ。ダンスの基本は全身で思いを伝えることであり、この馬ダンスは世界じゅうの人たちが「あっぱれ」と感動したことであろう。

Rainbow_bus ただし、馬ダンスの由来は要検証だ。日本のイエローハットのCMでのダンスを明らかにパクっている(この業界ではインスパイヤ-されたという)。馬ダンスに関して、オリジナリティー云々が論議されるのであれば、徹底して比較検討した方が良い。また曲自体も出来の悪いユーロビートである。慶などは、「今更ユーロビートかよ」という感じである。韓国の弱みはいつも、「オリジナリティーに疑義有り」なのである。しかし仮にパクっていたとしても、この世界は最終的に売れたもの勝ちであるし、ダンスに特許性はないから、問題にもならないだろう。 やり方はどうであれ、韓国のがんばりは、アジアの可能性を広げたということで、慶は大いに賞賛する。日本が、韓国が、中国がという変なつばぜり合いではなく、アジアから文化を世界に発信し、どんどん感化していくというスタイルはこれから必要である。受け身ではなく、パッシブに行く。韓国人の積極性がうまく出た形であろう。 最近の韓国の工業製品のみならず、映画や音楽までのすさまじい輸出攻撃は目を見張るものがある。日本のテレビでも韓流スターのみならず、メロドラマやKポップが目白押し。韓国の文化輸出の影響を最も受けているのは、まず日本であろう。人種的に近いからとても親近感があり、加えて高い整形手術技術により、顔立ちが立派に整ったスターがどんどん画面に現われるので、見た目重視の日本人はすぐに飛びつく。馬の前にニンジンを垂らすと、すぐに食らいつくというわかりやすさである。 それにしても、これだけ世界じゅうで売れている曲が、韓流文化に最も敏感な日本だけサッパリ売れないというのは面白い。その原因について全く分からないが、基本的にこれを見ても「カッコいい」と思わないからではないだろうか。日本人はきれいな、キュートな対象物への嗜好が強いので、こういうグロいものは基本的に苦手だ。増してKポップとなれば、イメージとは正反対なので、見ても「何これ」で終りなのだろう。逆に、人種的に近い日本人がこのビデオと音楽に食いつかないということは、ガンナムスタイルが、どこまでも外国を意識して作られた輸出モノであるという傍証かもしれない。

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