映画・テレビ

2017年7月25日 (火)

『ラ・ラ・ランド』で思い切り泣いた

Lalaland

クレジットカード会員特約で、映画鑑賞券の割引券が送られて来た。毎日仕事に追われているのだが、偶然時間が空いていたので、これも何かの巡り合わせだと思って久々に映画鑑賞に出かけた。たぶん20年ぶりの映画鑑賞である。

さて、何を鑑賞しようかと思案する訳だが、結局悩んだ時は同じ値段でも少しグレードの高い方がよいだろうとのミーハー気分で、『LA LA LAND』にした。 本作品は2016年最高の映画だ。第74回ゴールデン・グローブ賞ではノミネートされた7部門すべてを獲得、第89回アカデミー賞では史上最多14ノミネート(13部門)を受け、監督賞、主演女優賞、撮影賞、作曲賞 、歌曲賞、美術賞の6部門を受賞した。 これだけ評判の映画だけあって、冒頭からすごい。ロサンゼルスの都市高速道路上で、渋滞による完全停止状態のところから、ミュージカルのダンスが始まる。ナント、冒頭の4分強ぐらいのシーンがワンカット、それも50人近いキャストが入れ替わり立ち替わり出てくるが、全くのノーミスでタイトルカットまでたどり着く。どれだけ練習したのかとぞっとするようなインパクトのあるシーンだ。

以後は主役のミア(演:エマ・ストーン)とセブ(演:ライアン・ゴズリング)の偶然の出会いから始まる春夏秋冬の巡るような1年を集約している。ミアは女優志望、セブはジャズピアニスト志向である。どちらも売れそうになっては相手を邪険にし、ケンカとなり、また思い出してひっついたりと男女の恋物語が繰り広げられ、最終的にはミアが抜け出して大女優になって棄てられるという物語となっている。ストーリーとしてはたわいもないものだが、でも男女関係のアップダウンはこの映画の魅力である。

○パーティーやロスの夜景をバックに初デートをしながら踊るシーンでのエマ ストーンの黄色のドレスが目に映える。結局この映画のおかげで黄色の洋服が流行色となった。 ○絶品の美人でもないエマ ストーンの変幻自在な役どころが飽きさせない。 ○最後はアメリカ映画には珍しく、甘酸っぱい感じで、ハッピーエンドではない。 ○セブの上げチンぶりがさみしげではかなさを感じる この映画を見ていて思ったのが、ハリウッドの映画人の「俺らが世界一だ!」という自負が如実に表れているということだ。特撮ではなく、ワンカットのシーンを延々と入れてくることで、「分かった、もういいよ」という気分になる。 この映画は一言で言って、「オトナの映画」である。ミアに棄てられて、しょぼいジャズ喫茶で演奏している負け犬のセブが偶然出くわすのだが、一言も会話もなく、最後のウインクだけであった。もちろん、大女優に成長したミアと、「俺は昔あいつとつきあっていた」などといったゲスな自慢話は絶対にせず、墓場に持って行くだろう、それがオトナの男女関係というものだ。 この映画をみて、やはり男の慶としては、自分にセブを重ねて涙してしまう。もちろん、自分の人生でこれほど情熱的な恋をした経験もないし、上げチンをやった記憶など皆無だが、それでも気持ちは分かるのである。大の中年が映画館を出て涙目をしていて情けなかったが、良い作品を観れて良かった。

2016年5月 1日 (日)

落ちぶれフジテレビ番組を観察

ネットで時々視聴率の高低に関する話題が出ているが、とにかく多いのがフジテレビの低視聴率。二桁とるのは珍しく、低視聴率指定席のテレビ東京にも抜かれ、後ろはNHK教育しかない状態のようだ。
慶はあまりテレビを見ないのだが、フジテレビがなぜ視聴率を獲れないか知りたくなり、ここ数ヶ月ばかりフジテレビの番組をチラチラ見ていた。なぜダメなのかが分かれば、逆に何が重要なのか分かるかもしれないからである。
慶がフジテレビの番組を見ていて感じたのは以下のようなものである。

・看板番組がない(めざましテレビぐらい)
・中身がダラダラしている
・タレントに丸投げ
・楽屋ネタばかり

要するに、全然面白くないし、感情移入もできない。見てる側からすれば、やる気の感じられないコンテンツなのである。

フジテレビのコンテンツの低さを象徴するのが、「めちゃ×2いけてる」である。変装させたり被りものをしたタレントをゾロゾロと立たせて、脈絡もない低企画のネタとダベリングやいじりばかり。頭の悪い大学生がコンビニの周りでたむろして馬鹿話をしているノリである。それでいて、画面に編集された文字は躍るし、カメラはやたらとズームしたり、スタッフの高笑いだけは空虚に響き渡っている。
あと番組そのものに企画力が全然なく、タレントに依存しているという感じがする。とんねるずを街ブラさせるだけとか、SMAPを映しているだけ、さんまが延々しゃべって一人で盛り上がっているだけなど、企画会議も台本もロジも要らないような番組が多いこと。その不足部分は、人気女子アナとの掛け合いで補おうとする。要するに、あの長寿番組「笑っていいとも」の焼き直しである。特にとんねるずなんか、芸も何もないのに、どうしてフジテレビだけ出続けられているのだろうか。不思議でたまらない(関係者ならだいたい分かると思うが)。
結論として、フジテレビがダメな理由は、「やる気がない」という一言に尽きる。このテレビ局は、以前ライブドアに買収されそうになった。ある意味創業以来の経営危機に面したのである。それから10年ぐらいの月日が経過したが、その時の危機意識が全く感じられない。あの時、買収されそうになったフジテレビのトップは日枝氏だったが、マスコミに囲まれても実に暢気な感じで、「こりゃ買収されて当然」と思ったものだ。そのご当人は未だにトップにそのまま居るので、ある意味フジテレビという会社は、ダラ幹に居座られた状態なのかもしれない。
最近大塚家具でもセブンアンドアイホールディングスにおいても、クーデター劇があった。永きに亘り同一人物が権力を誇示するのは必ずしも良いことではない。フジテレビもこれだけ低視聴率と世間に喧伝されているとなると、いずれ同じ道を歩むリスクが高そうな感じである。ただ、プロパーなスタッフが育っていないとなれば、トップを替えても立ち直るかどうかは未知数だろう。

2014年3月 3日 (月)

サイドストーリーに終始する日本のマスコミ

理化学研究所の小保方博士がSTAP細胞の作成に成功したとの報道があった時に、日本のマスコミはその成果を詳しく報道することはほとんどせず、「リケジョ」「指輪は何のブランドか」「幼少期の親族の印象」などを中心とした報道に終始し、科学者から「本質を報道しない偏ったもので、研究の障害になる」とのクレームが出された。言われてみれば、最近の日本のマスコミは一事が万事、このノリである。
こうしたノリはオリンピック報道でも同じで、TBSの王様のブランチなどは、スキージャンプの葛西選手が銀メダルと銅メダルをとった後に、選手としての努力の軌跡やメダル獲得した時の活躍ぶりはさておき、札幌で行きつけのカレー屋での裏メニューだけで延々番組を構成していた。やれ月に何回来るとか、何を会話したとか、支払いは後輩の分までやるとか。オイオイ、この番組一体何なんだと突っ込んでしまった。葛西選手をネタにグルメ訪問番組になっている。目的が全然違うだろうが。
ワールドカップやオリンピックなどで活躍あるいはそれが期待される選手が居ると、何をさておき幼少期の親戚や同級生の証言ばかり。肝心のプレーの分析など全然ない。延々とサイドストーリーだけが続くことになる。スポーツ選手は芸能人で無いのだから、サイドストーリーよりもプレーなど本質で論議しないと意味がないのではないか。
こういうサイドストーリーだけで盛り上がるのは、元々深夜番組やワイドショー、週刊誌の世界である。その悪習がゴールデンの報道番組やバラエティーにも持ち込まれてしまい、もはや24時間ワイドショー化している。頭の固いNHKだけが、ゴールデンだけ本質論で通している。
視聴者が庶民だから、何が何でも視聴者、素人目線に落として番組を構成した方が視聴率を稼げるという事実は認める。しかし、政治家、経営者、芸術家、弁護士、官僚、アスリート、科学者などなど、仕事の重みとその実行力で人物評価されるべき職種の人まで、ルックス、出自、趣味・性格、家族構成、などの属人的切り口で矮小化されてしまうのはどうなのだろうか?週刊誌程度なら情報が流布する範囲が限られるから良いのだが、テレビとなると不特定多数だ。もうちょっと本質で報道するよう、何から何まで大衆に迎合して質を落とすのは斜陽国家の極みなので、マスコミはこの機会に猛省すべきである。

2014年2月 1日 (土)

明日、ママがいない: 安直に社会の暗部に切り込んで墓穴を掘る

どこの国でも社会の暗部はある。地域、組織、個人が表だって処理しきれず、しかし抱え込んでしまうとにっちもさっちも行かない事案が、ひっそりと放置あるいは適当に蓋をされてしまうことがある。日本で言えば、部落差別、在日朝鮮人の人権問題、身障者の雇用待遇、産廃問題などなど。
こうした社会の暗部に敢えて切り込んだドラマが、飛ぶ鳥を落とす勢いの日テレから放送されている。「明日、ママがいない」。舞台は捨て子を引き取って育てる児童養護施設である。それだけでもディープな設定であるが、そこに差別やイジメ、施設職員による言葉の暴力問題まで持ち込んでいる。それでも現実の施設が抱える問題をデフォルメして、脚本家の手によって多少なりとも大衆化させておけば芸術作品なのだろうが、子供達の力強さを強調させたいため、現実の施設の取材結果などを考慮せず、ひたすらグロさを立ちこめさせて出口とのコントラストをつける筋書きに落とし込んだのが失敗だった。ベースとなる問題に肉付けするならまだしも、不勉強なのに安直に暗部に切り込んで煽ってしまったといえる。
小学生の主人公が、不遇な環境(かなりグロい表現や設定)の中でも困難に負けず強く生きていく様を描いた物語といえば、これは「家無き子」の焼き直しだ。同じ日テレなので、もしやと思って調べると、脚本が野島伸司で、家無き子と同じだった。なるほど、そういうことか。成功した家無き子と同じグロ路線で、恐いモノ見たさの好奇心で視聴者を誘い出し、売れっ子子役をわんさか集めておけば確実に視聴率が稼げる。そんな思惑が透けて見える。製作サイドとしては、成功体験と数字稼ぎのセオリー(子供は確実)に準じた盤石のドラマ設定だったに違いない。
Asumama

これだけ施設関係者などの反発を受けて、BPOへの審査請求も出されて、スポンサーが全社CM放送を辞退しても、番組放送を強行するというのはかなり尋常ではないシュチエーションである。番組ホームページにも騒動に対する放送局としての見解は一切出ていない。日テレ制作サイドは「番組を最後まで見てから判断して欲しい」というが、最初の2,3話でこれだけ問題となれば、もはや最後まで見なくともグロ番組のレッテレルを貼られておしまいだろう。そもそも子役の名前からして差別で充ち満ちている。これは正直ひどい....BPOの審査にかかれば一発アウトである。そもそも施設の子供らはとてもではないが見てられない。
何より可哀想なのは、無謀な脚本家の指示に従って真面目に演技している芦田愛菜など優秀な子役の面々だ。下手に最終話まで放送されると、負のイメージがべったり付いてしまい、今後の出演に悪影響が出てしまう。子役の事務所周辺サイドから番組打ち切りの声があがる可能性もある。
しかし問題をややこしくしているのは、視聴率が高く、面白いという意見がかなりあること。しかし、これはマイノリティーの世界を知らない素人が、設定のグロさをおもしろおかしく傍観しているだけでかなり危うい。児童養護施設側から賛辞の声が上がらない以上、いくら視聴率をとっても「悪ノリドラマ」以外の何物でも無いし、表現の自由で押し通すような話でもない。

2013年9月26日 (木)

やられたらやり返す、倍返しだ

ドラマ「半沢直樹」。このドラマは銀行マンという地味な職場の中で繰り広げられる、ドロドロとした企業内政治をことさらデコレーションした、いわゆる勧善懲悪モノである。”正義はへこたれない、最後は勝つ”というわっかりやすいコンセプトが貫かれている。何と最終回の視聴率は42%と「家政婦のミタ」超えであった。あの憎き大和田常務を遂に追い込み、役員が居並ぶ前で土下座させることに成功した半沢。大和田によって自殺に追い込まれた実父の、長年の怨念を晴らした瞬間であった。冷静に考えると、恨みを人生最大のモチベーションにして生きているサラリーマンというのはかなり異常だと思うのだが、そこはドラマだからお咎めする必要もなかろう。
正直サラリーマン世界の企業内政治に振り回されるほどバカラシイものはない。このドラマで出てくるような狡猾で腹黒い上司というのは、どこに行ってもゾロゾロいる。能力がない人が上に行くには、部下を踏み台にして、上司にゴマをするしか方法がない。実にいやらしいが、人が作る組織というものは、制度的にこうなる運命を抱えている。ヒラ社員から見れば、部下の信頼の厚い人にできるだけ上に上がってもらいたいと考えるが、そういう人は企業内政治に弱く、周りの変化について行くのが遅いので出世は期待できない。
殆どのヒラ社員は言われたことだけこなして、歯車以上の働きはしない。仮に出世して偉くなってもややこしい責任が発生して、しかも忙しくなる。その割に管理職の給料などたいして高くはない。日本企業の中間管理職は権限が弱く、給料も外国に比較して安いので全然メリットがないのである。それが分かっているから、組織忠誠心など出てこないのである。
ヒラ社員にこよなく愛される上司というのは、部下を放し飼いで、上に対してはケンカばかりして部下を構う人、あるいは部下に小さな仕事を与えて、達成したらおだてて満足させ、”自分は人をよく育てている”と自己満足の世界に浸る、というのが多い。昔は人徳の塊のような人も居て、何も指示めいたことは言っていないのに、いつの間にか部下が全力で働いて組織も順調に回転していたこともあったそうだ。しかし、失われた20年の世知辛さのために、そんな超人的な上司は絶滅した。いま部下に慕われて人望がある管理職とは、行列がばらけても知らんぷり、放し飼い、あるいは行列の最後尾の人に合わせて全体の走行速度を遅らせる人だ。
ヒラ社員から見れば、同じ給料なら楽な方が絶対に良いに決まっている。ヒラ社員をだらっとさせて給料をシッカリ与えれば人望はあるだろうが、多分それをやられると会社は成り立たない。全体進行速度を気にしない人に任せると、会社は他社との競走に敗れてしまう。会社が潰れては元も子もない。だから現実の会社では、常に行列が他社よりも早く進行するように、おだてたりムチを打ったり、脱落する人に鈴をつけたりする嫌われ役の管理職というのは必要な役職なのであろう。昔は窓際族というのがあったが、現在は窓際族の烙印を押されると退社するのが原則だ。笑顔の仮面の下に、鬼軍曹の顔をちらつかせないと、決して組織は動かない。
しかし、半沢のように若い社員が大企業の中で無理難題へ果敢にチャレンジし、悪徳上司を追い落として会社を叩き直すなどあり得ない。いや、そういう生きの良い人材が居るなら日本も先が明るいが、今の若手に多い草食系人種にそんな大それたことなどできないし、本当に権力者相手にやったら即刻パージされる。そもそも日本社会はカウボーイを徹底排除する社会だ。加えて職場での安全運転を望む保守的な奥さんが、”もっと戦え、頑張れ”など言う訳がない。結局抑圧されたサラリーマンのあり得ない欲求をドラマに具現化させただけのことで、バーチャルな世界のおとぎ話であろう。実社会はドラマほど簡単ではないですよ。

Naoki_hanzawa_last




最終回は、悪の権化である大和田常務がお尻ペンペン程度の降格人事で、一番苦労した筈の半沢が昇進どころか出向という懲罰人事を受けて、さらに闘争心に火が付いた状態で終わった。おそらく、パート2や映画化が予定されているのだろう。明るい話題の少なかったTBSはイケイケなのだろうが、正直あのノリでパート2が出ても、現実遊離に適応できない慶はもうどうでも良いという感じだ。

2013年8月17日 (土)

家政婦のミタ再放送

日本テレビが「家政婦のミタ」を一気に再放送している(関東では年末放送だったらしいが)。既にブログでも書いたが、改めて眺めてみて、実に含蓄があって良いドラマだったと思う。ドラマ設定が高台の住宅街で、撮影されているシーンも専ら家庭内で食事をしているところ、学校、家政婦紹介所、河川敷と典型的な低予算ドラマなのであるが、ミタさんの存在感が凄すぎで、そういうネガティブな部分は全部吹き飛んでしまっている感じである。もちろん、子役の皆さんの演技に関する技術、バックメロディーなども実に素晴らしく、ドラマのクオリティーを上げていたサブ要因でもあった。
再放送にあたって、子役の4人が久々に勢揃いしてメイキングの話題を紹介していた。番組撮影から計算すると既に丸丸2年間経過しているので、皆成長して大きくなってしまった。一時はパート2や映画化も検討されたようだが、松嶋菜々子が絶対に首を縦に振らないので流れてしまったようだ。子役が大きくなってしまうとドラマの設定も難しくなるので、この家政婦のミタは史上最高視聴率を取ったお化けドラマなのに、1シリーズで終わってしまうという不思議な記録になりそうである。その分、プレミアはハンパでないだろう。
それにしても、メイキングを見るとプロデューサーや松嶋菜々子のこだわりもあって、色んなところに伏線が敷いてあったようだ。結構気がつかなかったものがあってハッとした。毎回番組の所々でお月さんが登場するそうだが、あの月の満ち欠け具合は三田さんの心の状態を示すバロメーターであったという。今度録画したものを見るとき確認してみたいと思う。
またエプロン。家政婦の重要な仕事着であり、とてもシンプルでシックなデザインである。あの胸のところにグレーのクロスするラインが目立ち、いつも気になっていたのだが、あれは松嶋菜々子のリクエストだという。クロスは「過去に自分が縛られている」ことの表現らしい。なるほど、それは重要な伏線である。あのエプロンは日テレ地下のグッズ販売店に売ってあるのだろうか。あれば是非とも購入したいものである。
Mita_eplon




また最終回のお別れのシーンはこのドラマにはまった人なら全員涙ボロボロ状態だった訳であるが、すべてアドリブ、自分たちで考えて望んだとのこと。このことを見ても、ドラマの撮影が進むにつれて感情移入が進み、もはや台本で台詞を書かなくても自然と台詞が出てくる状態になっていたのだろう。プロデュ-サーはそれが分かっているので、本当に自身の言葉で語ってもらい、ドラマではなく本当の家庭のような雰囲気で終わらせたいという思いがそうさせたのだろう。
月9のような軽薄短小もの、韓国モノの昼メロ(死語か)、不倫、三角関係、嫁姑の確執ばかりを強調したもの、土曜サスペンスのようなドサ回り事件ものなど、ドラマもピンキリである。普通の家庭を中心に、心の深層心理にバッサリと切り込む重厚なドラマは久々だったので、パート2は要らないが、こういうコンセプトのドラマは今度とも制作して欲しいものである。

2013年7月25日 (木)

イギリスの情報発信力は相変わらず

イギリス王室のウイリアム王子とキャサリン妃に待望の男の子が産まれたということで、まあ凄い報道ぶりだ。GDP世界第6位の王室の結婚や出産で、何でここまで世界じゅうが大騒ぎになるのか正直良く分からない人も居るかもしれないが、「イギリス王室は偉大だ」という漠としたイメージだけで報道を鵜呑みにする人々がほとんどであろう。かつてイギリスが世界じゅうを席巻した時代もあり、その頃のイギリス王室というのはさながらローマ法王のような権威と権力を誇っていたのかもしれない。それは昔の話であって、現代では数多ある王族の一つに過ぎない。
しかし、それでも世界じゅうがこのニュースに虜になるということは、とりもなおさずイギリスの情報発進力の高さを象徴するものであろう。英語と金融とロイターと貴族文化の4つは、イギリスが未だに世界の中枢に君臨する源泉でもある。
それにしても、あのオーストラリアという国は一体どういう思考回路の国なのだろうか。
キャサリン妃が病院に入院した時に、オーストラリアのラジオのDJがエリザベス女王とチャールズ皇太子になりすまし、病院の直接取材を行うというやらせ番組をやって、自殺者まで出した。今回も日本のテレビ局の中継の横では、オーストラリアのケバい女司会者が大声で興奮してまくし立てている。オーストラリアって、イギリスの属国であったのは分かるのだが、未だに地球の裏側にあるイギリスしか見て生きていないかと思うと、実に馬鹿馬鹿しいと思う。テロ組織一歩手前の反捕鯨団体を国を挙げて支援していることからして、実に危うい二流国家である。イザという時はイギリス王室が出てきて守ってくれるという変な安心感で、好き勝手に振る舞っているのであろうか。
しかし、この病院から親子3人が出てきてカメラのフラッシュを浴びるシーンを見て、慶も少し懐かしい感じがした。ウイリアム王子が産まれた時、すなわち31年前にチャールズ皇太子とダイアナ
妃がウィリアム王子を授かった時、この病院前で全く同じシーンがあり、慶もテレビで見た記憶がある。たぶん中学生ぐらいだったと思う。この時も、凄まじい勢いでウィリアム王子の誕生を伝えていて、テレビの画面はウィリアム王子を抱えたダイアナ妃ばかりをズームで狙っていた。31年経って全く同じ光景が繰り広げられている訳だ。
このシーンは鮮明に記憶に残っているのだが、これは同じテレビ画面を見ていた父親と母親が顔を見合わせて呟いた次の一言が耳に焼き付いているためだ。
「ホ~~、昨日子供を産んだばかりの女が、次の日に歩いて退院するとはとても考えられない」「化け物じゃない」

William_born

中学生には、出産のストレスがどんなものか皆目分からないから、翌日退院のどこが凄いのか理解しようがない。ただ両親が本当に目を丸めて驚いて、ダイアナ妃のような絶世の美人を指刺して「化け物」と言っているのだから、とてつもないことなのだろうと思っていた。それから31年経過して、自分自身が子供を持つ親になっている訳だが、未だに日本で出産翌日に退院するという話はほとんど聞いたことがない。どんなに順調でも3、4日、希望すれば1週間は入院している。日本に於いても翌日退院はできるそうだが、どんな女性でも出産翌日まで脱力感でぼう然としているから、まあ最低3、4日は病院でゆっくりするのが普通だ。だから化け物というより、凄まじい体力の持ち主であったということが良く分かった。




2012年10月 9日 (火)

映画「あなたへ」を観ました

週末、何にもすることが無かったので、10年ぶりぐらいに映画を見に行った。高倉健主演の「あなたへ」を見るためだ。実に渋い映画を選んだものだ。高倉健も80を超えて、あと何回映画に出るか分からない中での作品なので、円熟味のある演技が見られると期待して出かけた。
ストーリーはすごくシンプルで、堅物の独身男が、50を過ぎてから慰問に訪れた童謡歌手に一目惚れし、しばし楽しい夫婦生活を過ごしていたものの、妻が若くしてガンで先立たれた。その遺書に、「骨は故郷の長崎の海に散骨して下さい」と書いてあったことから、はるばる富山から長崎まで車で出かけるというものだ。ストーリーはとてもシンプルでひねりがないから、この映画は役者の演技力がすべてを左右する作品である。
不器用で真面目な主人公という設定は高倉健を想定した役柄なので、冒頭から最後まで、高倉健ワールドである。どの映画に出ても、高倉健は高倉健である。昔ハリウッド映画であるブラックレインにも出ていたが、マイケル ダグラスやアンディー ガルシアなどの曲者俳優相手でも、高倉健は高倉健であった。高倉健が画面に出るだけで全体が支配される。そういった意味では、タイプは違うが慶が好きな怪優ジャック・ニコルソンに近い存在感がある。
高倉健の演技は今更言うまでもなく素晴らしいのだが、この映画での亡き妻の役を演じている田中裕子がさらに素晴らしかった。高倉健と田中裕子の夫婦コンビは夜叉と同じである。この夫婦役が実に良くマッチする。田中裕子もおしん、天城越えなどの名作を総ナメし、紫綬褒章を受賞した名女優なのである。ほんわかして少女のような優しさの中に、しかし悲しい過去と重ねた齢、最後にガンに侵された女性の、迫り来るもの悲しさを熟練演技で表現するなどすごすぎである。もう泣かずにはおられないのだ。いや参った。
これらの名俳優の演技に、富山の立山連山の美しい風景と、兵庫県和田山市にある竹田城の立体感が演出を引き立てる。何にもお金がかかっていない映画なのだが、名俳優と名勝が見事にマッチしている。まさに日本の映画である。
遠路はるばる、道中あやしい放浪者との意外な出会いを体現しつつ、ようやく妻の故郷である長崎県平戸市の小さな漁村にたどり着いた。目的は散骨するのみ。しかし、海が穢されると地元漁師は首を振らない。このじれったい時間を潰すために、主人公が何気なく散策していると、集落のハズレにある潰れた写真館のディスプレイに、40年前の妻が童謡大会で歌っている古ぼけた写真を見つけ、思い切り男泣きするシーンがある。これがこの映画の最大の謎解きである。一度も妻の故郷を訪れることもなく、仕事に没頭していた夫に対して、自分のルーツに少しは興味を持って欲しかった、それが分かったなら、後は忘れて、あなたが好きなように残りの人生を歩んでね、そういう無言のメッセージが伝わってくる。
そして、地元の古老の漁師の案内で、故郷の青くて透き通る美しい海に、どこまでも深く沈み行く妻の真っ白な遺骨と、東シナ海に沈む真っ赤で雄大な夕日のコントラストがクライマックを飾る。ものすごく自然体であるが、地に足がついた、人生のはかなさを思い知らされる良い映画であった。映画館には初老の中高年が多かったが、当然皆涙していてた。
この映画は、高倉健の絶頂期のヤクザもののような、オーラとキレがある派手な設定ではない。枯れ行く余生の中で、己のより所をまだ探し切れないところに、人生の未熟さ、奥深さをにじみさせる設定である。脇役人もベテラン中心で実に渋い。特に大滝秀次は高齢で足下もおぼつかない状況で、立派な漁師役を演じていてこちらが腰を抜かしそうであった。残念ながら、これが遺作となってしまった。最期まで名脇役を通していたと思う。良い映画は良い俳優で作られる。誠にすばらしい作品であったと想う。

2012年8月13日 (月)

海外取材番組が減った

慶が思うに、一昔前に比べて海外取材番組が随分と減ったと思う。今でも残っているのは土曜日の夜にある「世界不思議発見」ぐらいだ。昔はこの手の外国紹介番組が各局あり、それなりに創意工夫がなされていた。フジテレビでやっていた「なるほど!ザ・ワールド」などは随分とみた記憶がある。メインスポンサーが旭化成で、サランラップのCMをいやというほど見せつけられた。そういえば、これ以降、旭化成のCMをほとんど見かけないようになった気がする。会社はちゃんとあるのだが、何でCMを減らしたのだろうか。
世界のまだ知られていない話題をクイズ形式で紹介するのだが、わりと都市部を中心に最新の話題を紹介することもあり、ニューヨークやロンドンの最新情報を得ることもできた。ロンドンでは女装(今で言うところのゲイ)が流行っているとか言って、まだ日本ではほとんど知られていなかったボーイ ジョージ(カルチャークラブのボーカル)がディスコでカクテルを飲んでいるシーンなどがあったりして、「おお!ロンドンは進んでいるな!」と感心していたものだ。今思うととんでもない田舎者丸出しの視聴者だったが、世界の最新情報が得られるテレビ番組はそう多くはなかった。
この番組の顔は、局アナである益田由美さんだ。とにかく明るくて、化粧などもあまりせず、普段着で世界じゅうどこでも突入取材。体を張ったリポートの連続で茶の間に元気をつけてくれた。今フジテレビの女子アナと言えば、見た目だけの半アイドルとして画面に並べておき、飽きられてきた頃にフリーにしてタレント化するという流れになっていて、何かアナウンサーというより、放送局によるタレント育成みたいになっている。益田さんはとにかく体育会系で、今のフジテレビ女子アナの対極にあった感じだ。今ではフジテレビアナウンサーの重鎮らしいので、この閉塞した時代に風穴を空けるべく、第二の益田由美育成に努めて欲しいものだ。
司会は愛川欽也と楠田枝里子であった。この2人はとにかく身長差が大きく、何でこんなアンバランスな組み合わせで司会をするのだろうと思っていたが、これが以外にハマるのである。チビだが常識人で司会進行が上手な愛川欽也、大女で天然キャラ、平然と流れをバッサリ切る楠田枝里子との組み合わせは不思議だった。
今頃の海外番組と言えば、売れない芸能人がアフリカや東南アジアの異民族のところへ突入して、笑いや痛みを訴えるものが多い。いわゆる森三中や出川哲朗が東南アジアに行ってトカゲの丸焼きを食ったりする類いのものだ。低俗以外の何物でもない。しかし、慶はそうした低俗番組の中で自分を磨いてきたイモトを大変尊敬している。今でさえ立派なタレントだが、基本的に出だしは無名である。今ではトカゲの丸焼きはおろか、昆虫の幼虫を生食することだって平気だ。これだけ自分を磨けば、男は寄りつかないかもしれないが、少なくとも子供らには「何でもチャレンジする教」の教祖としてあがめてくれるかもしれない。
とにかく最近は世界を紹介する番組が少ない。これも日本人が内向き思考になったからに違いない。また、タレントもアナウンサーも、時差と食習慣の違いに悩まされる短期海外取材を明らかに嫌がっている。その傍証に、「世界に行ってみたらホントはこんなトコだった」などになると、タレントでもアナウンサーでもなく、ディレクター見習いが案内役だ。正直この程度ならインターネットで情報をとった方がまだ早い。
テレビ業界も少しは心意気があるのなら、毎日のように19~20時代に垂れ流される雑学のクイズ番組など止めて、バラエティー枠で日本人が知りませんでした!勉強になりました!と言えるようなデラックスな海外取材番組をぶつけて来い!

2012年4月30日 (月)

大河ドラマ低視聴率

NHKの大河ドラマ「平清盛」が低視聴率に喘いでいるらしい。慶は歴史が大好きなのだが、歴史物のドラマや映画は基本的に嫌いだ。理由は単純で、史実に全然即していないというか、ほとんど原型をとどめていないから。本当に歴史上の人物描写が正確であるかどうか、きちんとした裏付け証拠に基づいてキャストや演出を構築すれば良いのだろうが、ドラマである性質上、製作された時代で一番人気のある俳優に合わせて役柄が設定されるから、かなり史実とは乖離した演出になってしまう。
この平清盛の前で高視聴率を獲得した坂本龍馬が代表例で、あんな軟派で迫力の無い龍馬の言うことを信じて大仕事をする人など居なかっただろう。一介の土佐脱藩浪士がいくら裏でチョロチョロと動き回った所で、薩長の幹部が耳を傾ける筈が無い。龍馬にそれができたということは、回りの人を説得させるだけの独特の空気を持っていたに違いない。勝海舟も「犯しがたい雰囲気を持っていた」と、龍馬の独特のキャラを認めていたし、実際に龍馬が暗殺されたと伝え聞いた時には、幕臣だろうが外国の要人だろうが、屁とも感じていない勝が、ひたすら号泣したという。いずれにしても、龍馬のキャラを演技で再現できる俳優はまだ出てきていない。そういった意味で、視聴率とドラマの出来映えとは必ずしもリンクしないので、NHKも低視聴率で無理に悩む必要はない。
とは言いながら、慶もこの低視聴率「平清盛」を拝見させていただいたが、やはり素人が見ても低視聴率の原因はそこかしこに転がっている。極言すると、大河ドラマの悪いところがすべて出尽くしていて、見たくなる要素がほとんど無いという感じだ。ざっと並べても、
○登場人物が多すぎて訳が分からない
○主役が松山ケンイチではなく、むしろ義父役の中井貴一になっている(演技力が全然違う)
○室内の会話シーンがやたらと多く、会話の中身もストーリーにほとんど乗ってこない
○ストーリー設定が複雑で、その割にサプライズな展開がほとんどなく、何が主張されているのか分からない
○重厚すぎる画面にこだわり続けた結果、闇でのシーンが多くえらく陰気くさい
○霧を意識して粉を撒きすぎで、画面がやたらとほこりっぽい。
という感じで、視聴率が取れない理由はいくらでもある。どっかの知事の苦言は言わずもがなという感じだ。
お正月の特別番組で、ドラマの制作者側がいかにこの作品に力を入れているかという、メイキングものの番宣をやっていた。その番宣では制作者側の意気込みは良く伝わったのだが、実際の出来映えと比較すると、これを見ている我々視聴者との落差にはガッカリさせられる。このブログでも繰り返してきたが、日本の企業や官公庁で人材の質の劣化が著しいという現象が、NHKでも顕在化しているのだと思った(職員の不祥事数もダントツだし...)。
また主人公の平清盛自体の評価であるが、もう一人の武士の頭領で歴史上に名を刻んだ源頼朝に比較すると、まだ定まっていない部分が多い。すなわち、一般の国民にとって平清盛は、「何をした人なのか良く分からない」というのが実情だ。番組側は鎌倉幕府を開いた源氏よりも、平氏の方が地生えの豪族から朝廷に急接近して大成長を遂げた、最初の武士のはしりであるということを強調したいようだが、一般の人はあまり良く分かっていない。そういった意味で、取り扱った人物がまずかったのかもしれない。特に平氏の勢力外であった東日本の人たちにとって、平氏は単なる「よそ者」であり、根本的に興味がない。
ちなみに平氏は日宋貿易に没頭し、かつ莫大な利益を得た氏族で、海運に対してたいそう執着があった。世界でも類例をみない優雅な海上神殿である厳島神社をを800年以上前に作り上げたのも平氏である。今では厳島神社は世界遺産だし、京都や奈良の神社仏閣、日光東照宮を差し置いて、外国人がダントツで感動する日本の文化遺産である。大河ドラマの主人公としては申し分ないのに、NHK職員の戦略ミスのためにこれを活かしきれなかったのは残念至極である。