携帯・デジカメ

2020年9月30日 (水)

恐るべきアナログ録音のクオリティー

Openreeltaperecoder

慶がこのブログで何度か触れてきたが、1970年代、1980年代というのは、基本的にアナログオーディオ全盛時代だ。日本においてコンパクトディスクなるデジタル記憶媒体が出てきたのが1990年代。1980年代はパイオニアがレーザーディスクなる、デジタルオーディオのはしりの製品を販売したり、あるいはデジタル録音装置としてDATなる、テープ方式の記録媒体が発売されたりしていたが、所詮一部のマニアが使う限定的なデバイスであって、基本はレコードとテープ式のアナログレコーダーが主流の時代であった。

今ではこのアナログ時代の音楽も、YouTubeのようなインターネットメディアで再視聴できる時代だが、当然音声はデジタル化されている。しかし、元はアナログ音声のマスター盤からデジタル化して流布させているものだから、デジタル化されたからと言って、何かが変わる訳ではない。しかし、インターネット経由で配信される30年、40年前の音質は実に素晴らしくクリアで、「これが本当に40年前の音源か?」というほどのハイクオリティーである。繰り返すが、アナログとて実に素晴らしい。

では、40年前の録音形式、特にレコードと言われる塩ビの記録媒体に無限コピーをするためのマスター盤の音源はどうやって保存されたのかと言えば、酸化鉄の磁性体を塗布したテープ方式の録音媒体であった。それも、オープンリールレコーダーと言われる巨大なものだ。アナログ時代の記録方式、特にオーディオは、電気信号を磁性体に記録していたのである。一般庶民が録音していたのは、カセットテープという小型化された磁性体式記憶媒体であるが、これは非常に音質の劣化が激しかった。録音される段階で高音と低音側が劣化して、レコードと比較すると情けない音質でしか再生できなかった。それでも自宅であるいはカーステレオで音楽を再生するには十分だったと言える。一方、オープンリールレコーダーはカセットテープと原理は全く同じだが、磁性体の幅が広いだけでなく。テープ送り速度が2倍以上ある。カセットテープと比較すると、広く薄く記録できるので、当然記憶できる面積が広くなり音質が向上する。磁性体の幅は早々変えれないので、プロは速度をどんどん上げて、より原音に近い音質で録音することで、マスター音源としていたのである。我々はその40年ぐらい前のマスター音源がデジタル化されているのを聞いているのだが、非常に優れたものである。アナログの実力を見せつけられる気がする。

オープンリールレコーダーなどは今や博物館展示であるが、このテープ方式の記録媒体はまだ絶滅しておらず、実は近年見直されている。それはオーディオの世界ではなく、企業のデータベース分野において注目されているのである。磁気テープは使われてきた歴史が長いため、データの長期保存性能と安全性が高く、既に技術的な開発は頂点に達しており、安心で安全、コストパフォーマンスに優れているという。近年はコンピューター用バックアップテープの分野で、大容量の磁気テープが企業・政府・金融機関・研究機関で活用されているという。まさに温故知新、アナログ技術とデジタル技術の融合である。

文明というのは、如何に記録を正確かつ長期に残すかも一つの要素である。中国のように書物で厳重に残していたものの、火事で消失したり戦乱で逸散することがほとんどで、戦時中は戦車の足場のために分厚い歴史書が敷き詰められたという笑えない話もある。日本は勉強好きが多いせいか、書物を盛んに写本していたので、原本はなくとも中身は現代まで引き継がれている。

デジタル記憶が全盛の現代でも、例えばDVDなどは、ちょっとでも傷が入れば読み込み不能となるし、基本プラスチック媒体なので、高温多湿条件下では劣化も想定される。その点、フィルム式の磁性体記録方式だと記録部位が剥き出しではないので環境変化に強く、かなりの長期間保存が可能で、仮に傷がついても、その部分以外は再生が可能だ。円盤式の記憶媒体とは異なり、切り貼りができるのだ。慶も巻き込んだり切れてしまったカセットテープをカットしてつなぎ合わせることで、再生可能な状態に戻すことを実際に成功したことがある。まさにアナログとデジタルの「いいとこ取り」をしたメディアといえよう。

2012年5月 2日 (水)

もうお父さんシリーズはいいよ

春になって進学時期になると携帯の新規購入や乗り換え狙いでCMがどんどん打たれる。それはそれで季節の行事で構わないのだが、ソフトバンクのお父さんシリーズはどうなんだろうか。ネタ切れを起こしているのに、それを根本的に変えるアイデアもないから、延々とシリーズとして続く。最近はトリンドル玲奈さんが留学生役で出まくっているが、上戸彩のギャラが上がってあまり長時間拘束できないので、その分の穴埋めに使われているような気がしてならない。
前にも述べたが、子供と動物とグルメは必ずテレビで数字が取れる。そのセオリー通りにやるとなれば、犬で飽きられるとネコまで使い、さらにしんどくなると子役が絡んでくる恐れが高い。そして最後はグルメ攻撃。しかしそうなると、もはや携帯電話会社のCMとは言えず、自滅である。そこで行き詰まったところで原点に返り、また新しい企画としてやり直すなら良いが、何かこの感じだと犬の種類をチワワとか小型犬に変えて同じネタを繰り返す可能性もないとは言えない。
ソフトバンクはこういう創意工夫に乏しいCMを打つ余裕があるなら、もっと電波状態が良くなるように基地局の改善に取り組んでサービスの質を向上させるなど、基本的なインフラ整備に投資すべきである。ソフトバンクの利用者にとって一番不満なのは、通話中にすぐに切れる、あるいはちょっと市街地を離れると繋がらない電波状態の悪さである。ソフトバンクは本業が携帯電話なのに、iPhoneのCMは適当、普通の携帯電話はこのお父さんシリーズでお茶を濁すなど、中心となるCMがえらくいい加減だ。あれだけの大企業で優秀な人材を多数集めておきながら、何かちょっと物足りない。日本を代表するIT企業なのに、「そんなもんか」という感じである。
それにしてもCMがシリーズ化するのはここ10年ぐらいの傾向だ。視聴者を飽きさせない工夫と言われているが、慶に言わせれば、制作者側の怠慢であると思う。どうせ企画会議を何度開いても新しい、クリエイティブな提案は出てこないから、とりあえず既存モノを改変して製作に取りかかる。その方が頭を使わずに楽である。既存モノの改変なら、やる気のない社員でもそれなりにアイデアが出てくる。しかしシリーズモノは徐々に飽きられる速度が高まるので、中身をどんどん変えて行かねばならず、結局はトータルで見ると普通にCMを新しく製作して行く方が企業としてのイメージはフレッシュである。
ハリウッド映画もほぼ同じ傾向に走っている。日米共にネタ切れ、人材不足ということか。

2012年1月 9日 (月)

監視カメラ社会か...

オウム教団の指名手配犯であった平田容疑者が逮捕されて10日近く経過した。ここにきて、警察側が次々に当人の顔写真、さらには防犯カメラの映像を公開している。容疑者の出頭直前の足取りを示す重要資料であるが、早々にマスメディアで公開するということは、他の逃走犯に繋がる有力情報を求めているからだろう。この容疑者の鮮明な写真を公開することで逮捕に繋がった事例として、リンゼイ・アン・ホーカーさん事件の時を思い出す。整形手術を受けに来たときの市橋容疑者の映像が公開され、一気に目撃情報が集中して、スピード逮捕に繋がった。今回も公開された映像に既に多くの情報が寄せられているようで、平田容疑者の足取りが克明に暴かれることになろう。
それはそれとして、防犯カメラの映像だ。う~ん、実に鮮明だ。見事に映像が押さえられている。もちろん平田容疑者だけを狙って撮影している訳でないから、毎日自分も含めて、ほとんどの国民が防犯カメラで撮影され、その映像がどこかに保存されている。肖像権がどうのこうのとか、あるいは盗撮映像が流布しているとか様々な問題が取り上げられるが、個人の足取りが常に映像に収められ、いつでも犯罪捜査当局に渡るとなると、これは実に恐ろしい監視社会である。犯罪までは至らないにしろ、何色の服を着てどこに行っていたのか、あそこで鼻クソをほじっていたとか、女性の尻をじっと眺めていたとか、全部映像に押さえられるのである。それで、その映像を個人では全く管理できない。肖像権などあったものではない。もし誤認逮捕があり、それで平田容疑者の勢いで裁判前に全国に監視カメラの映像をばらまかれると、その段階で犯罪者としての地位が確立されたようなものである。既成事実ができてしまえば、その後の裁判も大いに不利ではなかろうか。
監視社会と言えばそれまでだが、個人の感覚で言えば24時間盗撮社会である。だいたい今でも公共施設やお店のトイレの入口にカメラが設置してあるから、そのうち犯罪を防ぐなどの理由でトイレの中にもカメラを置きかねない。その時は盗撮で軽犯罪法違反になるのだろうか?それとも犯罪抑制を優先してカメラ設置を放任するのだろうか?全く未知の分野に入りつつあるようだ。
防犯カメラが気味悪く感じるのは、こちらに有無を言わさずに撮影を行っていることで、これは盗撮と基本的にやっていることが同じだ。どこかに犯罪抑止のために撮影していること、撮影した映像は個人情報保護法の趣旨に則り適切に管理されていることを掲示して欲しいものだ。クレームがある場合はしかるべき手続きで申出できるというのも無ければならない。実際そこまでして撮影拒否をする人は居ないのだろうが、法的にはそうすべきではなかろうか。タダでさえ顔の表情を読み取られることを嫌って日常的にマスクをかける人が多い中、こうしたきちんと管理が行き届かない状態でそこらじゅうで監視カメラで撮影されているとなると、犯罪者だけでなく、国民全体が顔を隠すようになり、結局犯罪者の割り出しが難しくならないかと心配だ。
そのうち人混みの中に行く時には、イスラムのチャードルのような衣服を着て向かうことが流行しかねない。

2011年12月 9日 (金)

デジタル化で排除されたUFOと心霊写真

最近UFOネタと心霊写真ものがさっぱり流行らなくなってきた。前者は特番ものが集中する春と秋の番組改編時期に、後者は暑気払いのため夏休み時期によく特集がやられていて、お決まりのように矢追純一や稲川淳二が登場していたものだ。これらの出番がなくなった理由をつらつら考えると、1)噂話を公共放送の電波でやることの倫理的問題、2)画像のデジタル化、3)コンテンツの充実、などが考えられる。
なかでも大きいのは2)だろう。UFOも心霊写真も、デジタルカメラが世間に普及し始めると急速になくなった。銀塩写真というアナログ記録では僅かな感光イレギュラーでいかようにも画像が乱れていた。数多ある乱れが、見る人によって「人の手」になったり「背後霊」になったりする。極端な話し、100万枚に1枚でもおかしな映像があれば、いつでもどこでも心霊写真に化け、人々を恐怖に陥し入れることができる。しかし、デジタルカメラになると、こういう記録上のイレギュラーは起こりえない。CCDで捕らえられた画像はすべてデジタル信号に変換され、寸分の狂いもなく元の画像を忠実に再現して記録される。100万枚に1枚のミスも生じない。記録される段階でのイレギュラーは発生しえないのである。よって、「心霊写真もどき」は排除されてしまった。淋しいと言ってしまえばそれまでだが、デジタル機器の冷酷な写実性を証明するものでもある。UFOなどは完全にネタ切れで世間の話題から排除されてしまった。よって、矢追純一は伝説の狂言師ということになるのだが、視聴者も元々全然信じていないから、責任追及には至っていない。
このデジタルの冷酷さはあちこちで人との軋轢を生じさせているような気がする。現金引き出し機の前で、怒られっぱなしの老人が、行員さんを呼んで、「この機械はおかしい」とケチをつけながら操作をしている場面。その機械を利用した前後の客は何のトラブルもなく処理できている訳で、誰の目にも機械が悪いとは思えない。しかし、当人は機械が悪い、自分はおかしくないと思い込んでいる。寂しい。デジタルディバイドの悲しさ、機械の冷酷だけが際立つ瞬間だ。それにしてもアシストする行員さんはは「あんたが悪い」は言わずに律儀に対応してくれるものだ。偉い。
地上波テレビなどの時代、写りが悪い時は、テレビをたたいたりすると画像が少しだけ改善されていた。レコードの音質が悪い場合は、クリーナーなどで埃や汚れを丁寧に拭き取ると若干ノイズが減った。アナログ時代はこうした、「わかり易いケア」で装置モノはそれなりに応えてくれた。しかし今はデジタル時代なので、装置をいくら叩いても、自らの間違った使用方法を改善しない限り結果は変わらない。ちょっと前にパソコンの起動が遅い時に、上司が「早くしろ!」とモニターをしきりに叩いていたのを寂しい気持ちで眺めていたものだ。起動が遅いのはソフト的な問題であり、かつ問題のある部分は本体なので、モニターをいくら叩いても何も改善しない。どうせ言っても分らない人に言うだけ時間の無駄なので、ただただ無視するしかない。こういう時に、「教養の重要さ」をひしひしと実感するのである。
アナログかデジタルか、それは結果をどう解釈するかによってその価値の大きさは変わるということだろう。個人的には、すべてが総デジタル化する流れで、アナログの持つ余裕、遊び、バッファー作用は少し残して欲しいと思う。
以前自動車免許更新の際に、自分の前にヨボヨボの爺さんが視力検査をやっていたが、さっぱり見えない。すなわち、免許更新ができないほど視力は衰え、検査員との会話はもうろうとしているのである。さてさて、ここで免許センターの職員はどうするのだろうと思っていたら、
免許セ職員:「お爺ちゃん、車は運転しているの」
お爺ちゃん:「してない」
免許セ職員:「じゃあ、今から右と言ったら右、左と言ったら左と言いなさい」
お爺ちゃん:「うん」
免許セ職員:「これ右」
お爺ちゃん:「右」
免許セ職員:「これ左」
お爺ちゃん:「左」
免許セ職員:「はい、合格」
う~ん、アナログだ。実に融通が利くし、現実的に何も問題ない。機械相手ならこんな結論にはならない。こういうバッファーはこれから先もどこかに残して欲しいものだ。