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2021年9月20日 (月)

ようやくワクチン接種が世界並みに行き渡ってきた


Jpnvaccininterppopulation
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/vaccine-tracker/ より

ワクチン接種率が以下となった。

2021年9月17日 公表時点
1回接種人数: 82,677,879 人 (接種率:65.3%)
うち2回接種: 67,204,659 人 (接種率:53.1%)

ワクチン効果が発揮される2回接種を受けた国民がやっと半数を超えた。1回のみは65%で、これは6~7割に達しているOECD加盟国に匹敵する。10月に入るころには、2回接種の人の割合が諸外国に並ぶだろう。慶もおかげさまで2回接種を済ませることができた。
インド由来のデルタ株は放出するウイルス量が従来株の千倍ぐらいあるようで、またレセプターにも効率的にくっつくようで、これまで感染が見られなかった子供も感染している。ご存じのようにワクチンは12才以下には接種できないので、子供が感染するとなると、12才以上が全員ワクチン接種したとしても、12才以下の子供の中でウイルスが再生産を起こして終息しない。何よりデルタ株の脅威的な力は、2回接種を受けた人も感染しており、しかも低い割合ではあるが重症化もするということだ。一体この強烈な株を生み出した最初の1人目のインド人は誰なのか気になるが、調べようもない。
ワクチンはゲームチェンジャーではあるが、相手がどんどん進化するので、それだけではたてうちできない。やはり新薬開発も同時に急ぐしかない。抗体カクテル治療が承認されて、一定の効果を示しているが、点滴でやらないといけないので、特殊な治療薬だ。町医者でもできる注射、可能なら自分で服用できる錠剤レベルの新薬を急ぐ必要がある。特効薬とワクチンが揃えば、矛と盾が揃って、今回のパンデミックからの出口が見える。
新型ウイルスによる恐怖は、リスクを語る時には必ず項目の一つとして出されていた。新型インフルエンザが差し迫った危機ということで、ニワトリの殺処分は熱心にやっていたが、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックを受けて、この程度の対策では危機を乗り越えられないことがハッキリした。新型インフルエンザがヒトーヒト感染を引き起こしてパンデミックに到るというところまで想定しておかねばならない。他のウイルスも同様だ。当然その場合も行動制限のみならず、ワクチンと新薬開発にスピードが求められる。日本は今回どちらも出遅れてしまった。いや、いまだに有事の対応について体制が整っていない。これだと、新しい病原体どころか、外国勢力によるミサイル攻撃でさえ右往左往するのだろう。 早く有事法制について国会で議論をすることだ。 

 

2020年8月21日 (金)

天才ビリー・ジョエルの豹変には戸惑った

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ビリー・ジョエルは、慶が小さい頃に既に絶頂期に達していたミュージシャンだ。ピアノの弾き語りベースであるが、ロックの旋律を織り交ぜつつ、ハーモニカ、バイオリン、サックスなどちょっとフュージョンっぽいノリの素晴らしい楽曲を提供していた。活動拠点がニューヨークであったので、大都会の殺伐とした光と影を歌い上げている感じで、まさに大都会の、クールでかっこいいミュージシャンである。佐野元春などはこれに感化されまくって、完全にパクリ状態になっていたのを記憶している(しまいにはニューヨークに移住してたし)。1970年代後半のヒット曲としては、ストレンジャー、オネスティー、素顔のままで、ピアノマンなど、すさまじい名曲を連発していたものだ。

すっかり社会派というイメージが付いたので、1982年に「ナイロンカーテン」というアルバムが発売された時も、今で言うところのラストベルトを歌い上げたアレンタウン、ベトナム戦争の後遺症を歌い上げるプレッシャーやグッドナイト・サイゴン〜英雄達の鎮魂歌-など、アルバムに含まれる楽曲は当時アメリカが抱えていた社会問題、ベトナム後遺症などをテーマにした、極めてシリアスな作風となっていた。

ところが、それからわずか1年後の1983年に新たなアルバム「イノセントマン」を発表。前のアルバムから1年しか経過していないのに、新しいアルバムとは一体どうしたのかと思って、これを聞いたファンは仰天してしまった。どの曲も60年代のモータウン調で、軽快でポップな内容で、当時MTVなるミュージックビデオもシングルカットと同時に放送されていたので、曲のみならず、映像も実に尻軽いものもので、それまでのビリーの真逆の内容であったのだ。ファンは皆動揺した。そこにはピアノもハーモニカもサキソフォンも存在しないのである。これまでとイメージがまるで違うのである。しかし、曲がわかりやすくて調子も良いので、じゃんじゃんヒットしてしまった。

この豹変理由は、なんと古女房と別れて新しい姉ちゃんと付き合い始めたからだという。要するに恋に落ちて、勢いで作ってしまったアルバムなのである。その新恋人はアップタウンガールのPVに実際に登場している。ビリージョエル34歳の時の出来事だ。
「君子豹変」とはよく言われるところだが、人はゼニカネが絡まない限り早々に豹変できるものではない。増して今まで積み上げてきた偉大なイメージの上に乗っかって大物ミュージシャンとして祭り上げられている時に、恋人ができたからと過去を全部打ち捨てて新路線というのは誰にでもできるものではない。日本のミュージシャンなど、吉田琢郎も、サザンオールスターズも、井上陽水も、ユーミンも、長渕剛も、30年間以上路線は同じで顔にマンネリと買いてある。最近で見ても、perfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも路線は変わらない。変わらないからファンは不動だと日本人は信じて疑わない。そういった意味で、やはり平気で、すべてをうち捨てて豹変できるビリージョエルは、結果的に偉大で天才なのだろう。

2020年5月29日 (金)

輝かしい1980年代日本における性産業の帝王


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1980年代。日本がとにかくキラキラ光っていた時代だ。社会に沢山溢れている団塊の世代が30台の後半、最も脂が乗った人々が多数いたから、何から何までアクティブな時代だったのだ。企業業績が絶好調で、日本企業が世界中相手に商売してキラキラしていたのは言うまでもない。今やその団塊の世代も70台の半ばにさしかかりつつあり、すっかり社会は草食系のゆとり世代が働き盛りである。1980年代と2010年代を比較すると、働き盛りのサラリーマンは全然ハードワークしなくなり、家庭では家事見習い。酒はあまり飲まず、車も所有せず、海外旅行も行かない。ブランド品を買い漁ることも無くなった。。ちょっとハッパをかけられると、すぐ逆ギレで上司をパワハラ告発するか、心の病で脱落。これで社会全体の活力が上昇することなど全く期待できない。この状態が官民関係なく、日本中を覆っており、これが日本経済が世界で取り残されている主要因なのである。  さて、その熱かった1980年代は、裏社会も元気だった。特にアダルトビデオ業界が急成長した時代でもあった。そのアダルトビデオ業界で、ある意味でカリスマ的存在だったのが、村西とおる監督だ。1984年にセクシービデオの監督としてデビューした村西は、現役女子大生のお嬢様で、脇毛ボワッーのAV女優黒木香をはじめ、メガネが初々しい野坂なつみ、巨乳女優として活躍した松坂季実子、出演した作品全てがヒットした桜樹ルイら、トップ女優を次々に発掘。その革新的なエロ映像に、団塊の世代をはじめとした働き盛りや若者に受けて、性産業の急激な成長をもたらしたのだ。一時は年商100億円まで行ったそうだ。  どさ回り営業で鍛えられた村西監督の、下ネタを慇懃で軽快な口上でしゃべり倒すおかしさ、愛人関係にあったトップAV女優黒木香のお嬢様トークなど、これまで世間が持っていたAV業界の暗いイメージを完全に打ち破る、明るい性産業という新境地を拓いていたものだ。パンツ一枚でβカムを抱えて自ら性交しながら撮影したり、女性に絶頂に達したらホラ貝を吹かせたりというのは、よく俺たちひょうきん族などで、鶴太郎が真似していたものだ。懐かしいと言えば懐かしい。村西監督の人気はパチンコと同じで、庶民には絶大な支持があっても、警察からは常に追い回されるという国家権力との闘争の繰り返しであった。結果、前科7犯となり、最後は50億円の借金を抱えてしまったのだ。彼が没落したのは、丁度バブルが崩壊するのとほぼ同時期であり、時代の寵児であったことは明白だ。  失われた20年間で、日本はすっかりおとなしくなり、性産業もビデオからネットでの動画配信という流れに変わってしまい、作品性はほとんどないに等しい。だた素人が内職的に性交している動画が出回っているに過ぎない。そこには、かつてのAV産業のようなストーリー性や意外性やエンターティメント性は一切ない、ただの性処理の場に過ぎない。時代は変わってしまったのだ。 このまま忘れ去られる筈だった村西監督だが、「全裸監督」がネット配信されると、その評価が日本以外の外国で高くなっている。アダルトビデオという裏社会を取り扱った映画ということで、通常はタブーとしてあまり評価の対象とならないと思うのだが、これが異常に受けているそうだ。恐らく、性という視点から女性を際限なく解放するというチャレンジ性、一方で性産業を押さえ込む国家権力との血みどろの戦いが縦糸と横糸になって、映画全体にドラマ性を与えているからだろう。なにより、この映画はフィクションではなく、村西監督の自伝、実話なのである。時代の寵児は、表だろうが裏だろうが、歴史に刻むべきである。

2013年7月 7日 (日)

男女の間に友情は成立しない

この命題は非常にディープだ。男女関係はほぼすべて性欲ベースで語られてしまうからだ。また悪いことに、世の中の男女関係は性欲関係で説明できる部分が大半である。慶が女性と接する時には、できるだけ性欲を頭の片隅に追いやるようにしているが、決して消えることもない。ストライクゾーンに入らなければこの邪念は消えるのだろうが、すべての年代や容姿にわたってこの邪念なしでつきあえるようになるのは、非常に難しいと断念している。仮にそれができたとしても、この性欲制御は相手もあっての話しだ。友人とは、当然同じ価値観、あるいは異なる価値観を相互に認めた上で成立するので、こちらがいくら性欲を制御できていても、今度は相手側が全く制御できていなければ意味がない。
そんなこといちいち気にする人は居ないでしょう、なぜ今更こういうことを考えるかと問われると、「女子会」という時代を切るキーワードの存在だ。女同士が集まってお酒を飲みながら気兼ねなく情報交換と心の癒やしを行う。なぜ女同士だけで集まると癒やされるのか。そこには性欲が存在せず、友情が存在するからだ。これは男にも当てはまる。サークル活動や旅行などにおいて、男だけで固めると実に首尾良くコトが進むのだが、女性が混じると秩序が崩れる。場合によっては争いの元にもなる。
男女の間に友情が成立しないとなれば、少なくとも男である慶は世界じゅうの人間のうち、半分の人としか友情関係を構築できない訳である。男同士での友情はもちろんあるが、やっぱりモノの見方が偏っている。やはり女性目線での切り口というもの、わずか1回しかない人生を有意義に過ごすためには非常に重要だ。できれば男同士の友情に近い関係を、女性との間にも構築できれば、いろんな切り口があって気分的には楽になる。しかし、どうも未来永劫できそうにない。
この男女関係は脳科学で十分に解明できていて、友情が成立しない理由も十分説明できるそうだ。実に人の頭の中の構造ははかない。だからこそ、人類が生物として種の維持ができている理由かもしれない。男女ともに脳内麻薬物質の奴隷から解放されないと、この男女間の友情関係は永久に構築できないのかもしれない。
性的関係が成立しなくなった夫婦間には、意外にも友情に似た感情が成立している。お互い逃げようのない世界で、互いに得意とするところを尊重し、共に生きて行こうという協同運営精神である。この場合、男としては守って上げたい、女性としては支えてあげたいという関係が無難な落としどころになる。これは脳科学的にギリギリの男女の友情関係であるが、どうしても性的棲み分けの世界であって、対等とは言えない。友情とは完全対等でお互いを尊重しあえる関係である。
同性同士の友情は、お互いをさらけ出すことで醸し出されるものである。であれば、男女間でもお互いをさらけ出せば友情を構築できる余地はあるかもしれない。性欲抜きでさらけ出すのは難しいかもしれないが、互いに性欲を潰すようなだらしないものまでさらけ出すことが意外に早道かもしれない。例えば、男性と同じ格好をして化粧もせず、職場で平然とオナラをして、悪びれるそぶりもない女性が居れば、男としては性欲の対象外となる。そこから先は友情が成立するかどうかしか存在しない。これは、脳科学的に何とか棲み分けできるのではないか。