ペット

2020年5月28日 (木)

みんなが応援するツバメの子育て

Swallow-nest
プラザ荒川沖のHPより

桜の花が散る4月中旬になると、軒先や掘り込み式駐車場の奥に、ツバメが飛来して巣作りをはじめる。夫婦ペアで木ぎれや泥を盛んに持ってきて、しっくいの要領でシコシコとお椀状の巣を作る。そして、GW頃には雛が誕生し、がま口のような大きな口を閉じた状態で、お父さんやお母さんが持ってくる餌をじっと静かに待ち続けるのである。程なくして両親が餌を口に含んで帰ってくると、それこそ大口広げて雄叫びを上げて競うように餌を貰おうとする。実に愛らしい子育てである。

ツバメはきれい好きなのか、雛は巣の外に向かって上手に糞をする。従って、巣の真下は糞だらけの糞害となる。しかし、優しい住民はそこに新聞紙を敷いて、糞害が拡散しないように配慮しているところもある。糞害は迷惑なので、巣作り中に壊して追っ払ってもいいのだ。なぜ野鳥のツバメに対して、ここまで優しくする必要があるのか。そのDNAは、日本人のほとんどが農民だった頃に遡る。ツバメの主食は昆虫である。しかも、空中を飛ぶ昆虫を好んで食べる。農民にとって、昆虫は害虫そのものであり、花粉を運ぶミツバチ以外はこの世から抹殺したい存在である。今でこそ各種の農薬が売ってあるので、そう苦労せず害虫退治ができるが、農薬がない時代は手でむしり取ったりする「捕殺」や、酢や灰汁を掛けたり、煙でいぶしたりと、労力のかかる対策しかない。そうした中、野菜の栽培時期になると農村部に飛来して巣を作り、空中をスイスイと飛んで害虫をパクパク食べてくれるツバメは実に有り難い存在だった。同じ野鳥でも、カラスやヒヨドリは人が丹精込めて栽培した収穫物を狙い撃ちで強奪する憎き存在だが、ツバメは収穫物である野菜や果物には目もくれず、ひたすら昆虫ばかり食ってくれる。人が大事にするものには手を出さず、害虫のように抹殺したい昆虫を食いまくるため、利害関係が完全に一致するのである。だから、ツバメの子育てに「全面協力」するのである。これはある意味で、人と鳥の共生関係でもある。今や農民は少数職業となり、ツバメに愛情を送っているのは、そこらのサラリーマンか退職した高齢者だ。農民時代から、「ツバメが巣を作ると縁起が良い」という伝統、言い伝えが生きているのだ。
雛の頃に愛らしい姿をみせたのち、巣立ちが近づくと、巣の周りを親鳥と一緒にクルクル回って飛ぶ練習をしたり、親子全員がずらりと電線の上に並んでくつろいでいるのを見ると、「無事に子育てに成功してよかったね!」と、心から祝辞を述べたい気分になるのである。しかし調査によると、日本へのツバメの飛来数は半減しているそうだ。これは日本の家屋がツバメの子育てに適した構造ではなくなっているからだという。今の住宅は寸胴のような構造で、軒先が非常に狭いし、泥をくわえてきてしっくいのように塗り固めても、石膏ボードはツルツルしてすぐに脱落してしまう。そうなると、掘り込み車庫の奥のコンクリの壁ぐらいしか巣作りの場所がないのだ。ツバメがなぜに人家の軒先に巣を作るかと言えば、カラスやヘビなど天敵が近づきにくく、人がツバメに危害を加えないことを知っているからだ。川に魚道を作って親魚が遡上して産卵しやすいようにしているのだから、近代住宅でもツバメが巣を作りやすいように、一部だけ軒先を作って、落ちた糞は集めて庭木用の有機肥料にできるように、工夫ができないものだろうか。

 

2019年8月21日 (水)

ブタはイノシシである

慶はドライブ好きである。ドライブ好きは、基本的に風景を楽しみながら、自分のペースで運転したいものである。そうなると、信号機がない、交通量が少ない、しかし道路はそこそこ舗装されている、地方の県道あたりをウロウロすることになる。慶が運転をしているここ20年あまりで、日本の農村の風景は劇的に変化した。まず耕作放棄地が増えた。特に山間奥部の棚田や山野斜面の果樹畑は草ボウボウで、どこから山野か耕作放棄地か分からないぐらいである。それに準じて農家の廃屋も見られる。過疎化と高齢化は、間違いなく小農村の耕作地、特に山裾を確実に閉じて行かせたのである。加えて、平野部に残っている耕作地は、ブルーや緑のネットや、茶色にさびた鉄柵がぐるりと巡っている。この柵は何かと言えば、イノシシの食害から農作物を守るためである。これは九州から関東まで、耕作地はすべてイノシシ除けの柵で囲まれている。こういう風景は、20年以上前にはほとんど無かった。それだけ、イノシシが増えているのである。イノシシは増えすぎて、元々イノシシが生息して居なかった離島などにも海を泳いで渡ってきて繁殖するらしい。日本の僻地はイノシシ天下になってしまっている。この調子で行くと、人より家畜の方が多いニュージーランドのように、地方は人よりイノシシ、シカ、サルなどの野生動物の方が多くなってしまうのかもしれない。
イノシシは農作物を荒らすだけでも嫌われ者であり、これが時々市街地に出没して、猪突猛進で人を突き飛ばしたり、年寄りにかみついてて大怪我をさせたりする。そうなると獣害ということで、猟友会の人や警察が出動して、生け捕りにされたり射殺されることになる。射殺されてぐったりして、引きずられている行くイノシシを見ていると、慶はモノ悲しさを感じてしまう。たまに山奥をドライブすると、母親とはぐれたイノシシの子供、いわゆる「ウリ坊」が近づいてきて、何かくれとフンフンうなって愛嬌を振りまいたりするが、これなど実に愛らしいものである。
しかし、このイノシシは、家畜化されたブタの野生種だ。すなわち、ブタはイノシシなのである。飼い猫とノラネコが同じ先祖であるように、ブタもイノシシも同祖だ。我々人類にとって、イノシシは昔から貴重なタンパク源であり、同じ国土で共生する重要な存在である。また雑食性の豚は本来人をおそったりしない、おとなしい生物なのである。ライオンやオオカミとは違って、本来ヒトに危害を与える動物でないことは確実に言える。これがイノシシとして、農民に忌み嫌われている現状に、慶は残念だと感じる。農民は縄張りを張って、自分の生産物を守ることしか考えないので、非共生民族である。農民の意見を一方的に聞いていると、色んなところで齟齬が生じると感じる。
ブタは類人猿以上に体重や皮膚の状態、内臓の大きさなどが人間に近い動物である。そのため現在では異種間移植の臓器提供用動物として、研究が続けられており、大学の医療系学部・学科では解剖学の実習において生体解剖に利用されている。繰り返すが、ブタはイノシシであり、これを排除するのではなく、共生して、増えすぎたら有効利用することを考えるべきである。

 

2018年8月31日 (金)

遂にペット業界におけるイヌ天下終焉

日本でペットの飼育状況に関する調査結果が毎年出ている。この調査で、ペットの中でダントツの飼育頭数をほこり、他を寄せ付けなかったイヌの飼育頭数が激減する傾向が捉えられていた。2015年の調査でイヌの激減、ネコの横ばい傾向が顕著となり、2016年の調査では、もしかして両者が逆転するかもと言われていた。その2016年の調査では意外とネコが伸びず、イヌの低下もやや緩やかになったので、飼育頭数としてはイヌがトップを何とか維持した。しかし、2017年の調査では、イヌが再び激減し、遂にネコに追い抜かれてしまった。
イヌという言葉は、従僕という意味を含んでいる。ペットというのは愛玩動物であり、「かわいい」「なつく」というのが絶対条件である。イヌはいずれの評価項目でも満点に近く、だからペットの主流でもあった。そのイヌの飼育頭数が坂道を転げ落ちるように減っているというのは、一にも二にも「少子高齢化」「長期収入低下」が影響している。
イヌの飼育頭数の低下は、新規飼育開始が少なくなり、高齢化したイヌが死亡して減っているという。すなわち、新規供給が減り、目減りは大きく増えているという状況だ。まず、かつてのペット飼育開始の動機の多くは、「子供が欲しがる」というのが大きい。家族4人にイヌ1匹というのが、長らく日本の家庭像だった。クレヨンしんちゃんこと、野原家の家庭構成が一般的だった。いまや、そもそも子供世帯が少ない、あるいは一人っ子だとその一人に愛情が集中して、人間がペット化して親も子供も充足するので、動物飼育まで至らない。だいたい購入のきっかけが、「自分が欲しかったから」というのがダントツである。子供が言ってきた云々ではないのである。
次に年寄りであるが、イヌの飼育には意外と手間がかかる。その最大の負担は「散歩」である。ある程度の年までは健康のためのウォーキングも兼ねた散歩だが、50代、60代になって足腰が弱ってくるとしんどくなる。少なくとも、その頃には「このイヌが死んだらペットはおしまい」という気持ちがほとんどだろう。これがイヌの飼育頭数が減っている所以である。
イヌの飼育で不便さを感じる理由に、医療費が高い、旅行が制限されるというのがある。慶の知り合いでも、イヌを飼っていると旅行ができない(騒いで近所迷惑になる)というのを聞いて、そりゃ大変だと思う。しかし、イヌが大きく減るのに、なぜネコは頭数を維持しているのか?ペットを飼うのが面倒というのはイヌもネコも同じだが、イヌとネコの差は単身者のネコ飼い増加、高齢者の「手放し率」が高まらないためではないか?ネコは「家に憑く」と言われるほど、定着性が高い。特に去勢すると発情が抑制されるので、外にむやみに出たがらない。それこそ家でゴロゴロしている。また2,3日不在でも、静かに勝手にゴロゴロしている。待ち伏せ型の肉食性獣類であるネコは社会性がなく、孤独に強いのだ(実際飼っていると結構ベタベタではあるが)。田舎に行くと、じいさんに先立たれておばあちゃんの独り暮らし、一緒に住んでいるのはネコ1匹という映像がほとんどだ。ネコは人生の最後の最後までつきあえる、数少ないペットであり、高齢化がピークに達するこれからでも引き続き頭数を減らすことはなく、根強い人気を誇ることになろう。

2017年10月 8日 (日)

残念ながら、シャンシャンと帰る

上野動物園のジャイアントパンダに待望の赤ちゃんが誕生して、その様子が逐一テレビで情報提供されている。パンダの生殖能力はとても弱々しく、人工繁殖さえ難しいことが知られている。天然のジャイアントパンダは生息数も少ないし、生息範囲も高山地帯の一部に限られ、絶滅に瀕しているそうだ。だいたいまともの食う物のない高山地帯に押し込められているので、熊の癖に竹ばかり食っている。この手の生物にしては、とても生存競争力の弱い種類であることが容易に想像できる。
Panda_shan_shan

赤ちゃんパンダの誕生で、「日本中が歓喜に沸いている」とまでは言わないが、北朝鮮や不倫や忖度など面白くないニュースの合間に、この子パンダの映像が流れると、「かわいい~~」と目がハートになるのである。まるで、ぬいぐるみがモゴモゴしているようでかわいいし、お母さんも愛おしそうに子パンダを抱えてグリグリしていて、見ていて飽きない。人でも動物でも、子供はかわいいし、お母さんの愛情は共通している。
地元の上野の商店街では、あやかり商法狙いでシャンシャングッズや商品を開発しているようだが、事情はそんなに甘くない。なぜなら、このパンダのカップルであるリーリーとシンシンは、中国野生動物保護協会と上野動物園(東京都)が「共同研究」目的で協定を結び、10年の期間で貸し出しを行っている「レンタルパンダ」なのである。上野動物園が独自に購入して所有するパンダではない。協定に基づき、都は年間約1億円を中国側に支払い続けている。このレンタルパンダを受け入れる時に、税金で負担するには金額が大きすぎると問題になった。
中国はかつて各国にパンダを無償で贈与する「パンダ外交」を展開していたが、その後はパンダが絶滅の危機に瀕しているためという理由で無償贈与をやめ、「繁殖研究」目的に有償貸与する形を取るようになった。まさにレンタルである。その協定によれば、もし赤ちゃんパンダが産まれた場合は、「満24カ月」になった時点で中国側に返すことになっている。
要するに中国はパンダの雌雄ペアを外国に高額で貸し出し、かわいい子供が産まれたら本国に無償で送り返すように相手国側に一方的な条件を押しつけている。パンダ外交ならぬ、パンダをコマセにした外貨獲得である。これでは最もかわいく、一般公開できる年頃に本国へと送還されるだけなので、苦労して繁殖させた動物園にはほとんどメリットがないし、地元の上野の商店街のあやかり商法も1年ぐらいしか持たない。居なくなれば足を運ぶ意味がない。まさに研究という名目での話題作りだけだ。こういう偏利的な共同研究などやめてしまえと言いたいが、パンダは国内で自己調達できないので、歯を食いしばって1億円払い続け、子供が産まれても粛々と見送るしかない。こういう不利な条件でパンダを受け入れるのは、財政がジャブジャブな東京都しかできない芸当だろう。

2017年6月 4日 (日)

日本では嫌われ者でも希有な野鳥

先日ハンターがサギと間違ってコウノトリを撃ち落としてしまい、それが子育て中のメスだったため、慌てて雛たちを保護したとのニュースがあった。熊本の方では捨て子を受け入れる赤ちゃんポストがあり、一方でコウノトリの保護・増殖のために官民総出で取り組む。人間が大事なのかコウノトリが大事なのか良く分からないが、いずれにしても日本の野鳥は「鳥獣保護管理法」で厳重に守られていることには変わりない。
我々の身近な野鳥と言えば、スズメ、ハト、カラスで、郊外に行けばメジロやトンビやカモあたりだろう。しかし、慶が一番目に付き、その存在さえうといのが1種類居る。ヒヨドリだ。
スズメよりは遙かに大きく、ハトよりはかなり小さい。見た目はしょぼい。全身汚い灰色で、頭は寝起きのまま歩いている大学生のごとくボサボサ、頬に茶色いおおきな斑点がある程度。また鳴き声もひどい。「ピーピロピ、ピーピロピ」とさえずっているのはまだ良いのだが、興奮したり警戒している時の、「ヒィー、ヒィー」と切り裂くような、まるでヒステリーの女が騒いでいるような鳴き声は癪に障るもんだ。警戒心は強いが、他の野鳥よりもかなり人の近くまで寄ってこれる。カラスほどではないが、「横着者」である。
Hiyodori

この鳥は甘いものや栄養価の高いものが大好きなようで、蜜が出る花、果物、あるいは野菜の所に必ずと言って良いほど現れ、貪るように食らう。まさに「食害王鳥」なのである。特に食料が少ない冬場は人里への出没頻度が高く、椿の花は全部つつき回して落下させ、ブロッコリーやスナップエンドウなどは、芽や実の部分だけでなく、葉の部分もきれいについばんで葉脈の部分だけという悲惨な状態にしてしまう。
さらに悪いことに、横着者であるため、かかしやカラスの偽物、目玉のオブジェなど、一般的に野鳥を追い返す効果のある標識物でも全く無視。慶の庭では、カラスの偽物の上にヒヨドリが止まって、サクランボやビワが熟すのを毎日監視してやがる。サクランボとかにネットを被せても、ちょっと飛び出したところで空中でリフティングしながらパクッと食っていくし、それでも空腹が満たされないと、あたり構わずネットに突っ込んで足が絡み、ヒーヒー大騒ぎしたりしている。
この人からみて何のメリットもない野鳥だが、調べると分布が日本に限られるという。朝鮮半島や中国や台湾にも分布するものの希少種で、うじゃうじゃ居るのは日本本土だけらしい。基本的には生息域をあまり動かない留鳥であるが、越冬のために、日本国内を南北に集団で移動するようだ。日本だけに分布する珍しい鳥ですよと言われると、庭木の花や果物、野菜を食害されることで、連中の生命維持に貢献しているかと思うと複雑なものだ。

2016年1月 5日 (火)

ウナギってまだ新種が出てくるの?

年末に以下のニュースが小さく流れていた。

「世界7カ国14人の研究者の調査によって、約1000種のウナギのうち、207種が台湾に生息していることが分かり、日本やフィリピン、オーストラリアなどを上回ってウナギの多様性で世界1位となった。 (中略)今回、台湾の1新属、13新種、29の新記録種がそれぞれ確認された。また、新種のうち10種が台湾固有種だったという。」

Eel

ウナギが1000種類も居ること自体が驚きだが、このご時世に13種もの新種が発見されたというのも驚愕だ。あれだけ食用になっている生物なのに、まだ新種がいるのか、太陽系の外に地球外生物を求めて人工衛星を飛ばしているこのご時世に、足下の地球でまだ未発見のウナギの新種がゾロゾロいる。どんだけ研究が遅れているのだと呆れた。

しかし、ウナギと言ってもいわゆる食用で養殖されているウナギ以外にも、ウツボ、アナゴ、ウミヘビ、ハモなども含まれるようだ。アナゴは許せるとして、ウナギとハモが同じ仲間か。相当分類が広そうだ。

慶は子供の頃にウナギの川上りを見たことがある。川へ注ぐ側溝のような土堀の溝が家の前を流れていたのだが、そこをビシャビシャと、ウナギが暴れながら登っている。側溝の水が川へと流れ込む場所の落差は3m近くあるのだが、ウナギはそこをよじ登ってきたのである。その生命力に驚かされた次第である。

また川に塩ビパイプを沈ませていると、必ずと言って良いほど天然のウナギがつがいで2匹入っている。友人と塩ビパイプの両端を手で押さえて川岸へと移動し、そこで昆虫網を構えて中身を傾けるとウナギが2匹飛び出してくる。しかし、暴れて昆虫網から飛び出し、捕まえようとしてもヌルヌルとして掴めず、また川の深くに逃げられる、そういう経験を何度もしたものだ。慶にとって、ウナギはタフでしたたか、とても子供が捕まえることができそうな生物ではない、そういう印象がある。

研究によると、ニホンウナギはマリアナ海溝という深海まで泳いでいって産卵しているとのこと。川の源流から深海まで移動するというのは、とてつもない生命力を有した生物である。世界が核戦争でほとんどの生物が死滅したとしても、ウナギとゴキブリだけは生き残りそうである。

2014年6月20日 (金)

脱走ミドリガメ、軌跡の生還!!!

10ヶ月前の真夏に、13年間飼育したミドリガメが脱走した。寒さで死にかけたりいろいろ有ったが、幕引きはあっけなかった。2週間捜索しても姿は見えず、もう二度と戻ることはないと諦めて、ほぼ記憶の彼方から消えつつあったが...
5月下旬、自宅から突然のメール。「カメが近くの川で保護された」。ウソだろう。もう10ヶ月も経過しているし、脱走直後にさんざん探した場所である。寒い冬をまともな食料もなく越冬することは困難だ。死んで居る可能性が80%、仮に生きて徘徊していても、誰かに拾われて、別の生活を送って居るに違いない。だから、「それは別のカメの可能性があるから、きちんと照合してから判断すべき」とメールした。
その後何枚かの写真が送られてきたので、過去に可愛がっていた時の写真と一つずつ照合していく。まずサイズは一緒だ。見た目も同じ。要するに、ミドリガメなど、顔など、見た目で個体識別はできない。飼っていたカメか、別物で同じサイズなのかさっぱり分からない。ただ、縁のキズが何カ所があり、それは一致する。その一方で、それまで無かったキズが多数増えていて、本当に同一個体かどうか分からない。奥さんによれば、動作や顔つきは間違いないというが、それだけで確証を得るには早い。
しかし、決定的な証拠を見つけた。うちのカメの左頬にある赤いラインは、途中でくびれて細くなり、ぱっと見ためが切れかかっている。そのくびれ具合と位置が、完全に脱走前の写真と一致した。さすがにこの模様は個体事に異なるので、決定的な証拠となった。
Midorigame_return



生還時の逸話が面白い。下の中学生の娘が学校から帰る途中、別の中学の男子生徒が川でカメをみつけ、「獲ったぞー」と突き上げたり、棒で突き回していた。娘は、「あれって、うちの逃げたカメみたい」と思いつつ、そこに割り込んでどうのこうのする勇気がなく、とりあえず帰宅し、鞄を置いてまたすぐに現場に戻る。その時は男子中学生の姿はなく、放り出されたカメは川のやや深みを泳いで逃げていたらしい。目で追いながら様子を見るが、見れば見るほど逃げたカメにそっくり。捕まえたいが、川の中に入って捕獲するには危なすぎる。日が暮れ始めたので、川を眺めつつ、どうしようかと途方に暮れていると、散歩のおじいさんが声をかけてきた。事情を話すと、じゃあ自分が捕まえてあげようということで、近くの自宅に戻り、昆虫網を持って来て、長靴を履いて川に入り、カメを捕獲。ゴミ袋に入れて渡してくれたとのことだった。何か浦島太郎のような話である。
10ヶ月間の逃避行にも拘わらず、カメは元気だ。前と同じようにレンガの上でひなたぼっこをして、餌もガツガツ喰らっている。甲羅は相当な傷だらけになっている。あちこち歩き回っていくつもの死ぬ目にあったのだろう。いくら自由の身になったとはいえ、自然界は危険が一杯だ。今度こそ我々家族と一緒に、余生を安心安全に暮らして欲しいものだ。

2013年8月26日 (月)

ミドリガメの新たな旅立ち(脱走)

以前このブログで、うちで長年飼っているミドリガメが冬に死んでしまい(実際は寒さによる仮死状態だった)、埋めようとして穴を掘っていたら生き返って家族一同感動したという話題を書いたことがある。このカメはその後3年間、元気に成長し続け、甲羅の大きさも24cmに迫る勢いであった。
しかし、しかしである。この度、遂に脱走されてしまった。巨大な野菜を洗うタライで飼育していたが、一昨年ぐらいからタライの縁に前足が届く勢いになった。また、頭に傷が出るようになり、原因を調べたところ、夜中野良ネコが庭に侵入して、カメにネコパンチを加えていることが判明したことから、防犯上タライに金属網を被せて、四隅を大きめの洗濯ばさみで止めていた次第である。まあこれで大丈夫だろうと安心していたが、この度この金網を押し上げて、隙間から脱走したようだ。
朝起きて、もぬけの空になったタライを見て愕然とした。近くにいないか、家族全員で捜索したが見つからない。平日の朝だったので皆学校や仕事に行かねばならない。とりあえず夜に捜索のためのチラシを作って、近所のポストに投函したり、世話好きのオバサンに声かけしてもらったりした。また週末に近くの川に潜伏していないかローラー作戦で捜索をしたが、潜伏している気配はない。1ヶ月近く経過しても行方を示す情報が入らない。こういうのは初動が重要で、1ヶ月経過しても行方が分からないとなると、もう戻ってくる可能性はほとんどない。
Escape_turtle

正直ショックが大きい。ざっと計算して13年間も飼育していた。当然だが愛情は移っている。人の姿を見る度に餌を求めて徘徊し、与えられた餌は残さず平らげる。天気が良い日は投入したレンガの上で手足を伸ばしてひなたぼっこをしている。カメは長寿である。13年飼っても成長し続け、生物としての衰えを感じない。数多あるペットの中でも、頑丈さから言えば最強である。しかし、根本的な欠陥として、飼い主に対する愛着というのはなく、脱走の機会が与えられれば、13年間の恩義など微塵もなく消えていく。
奥さんはしんみりしていたが、これも卒業の一貫だ。長年狭いところで飼われてストレスが溜まり、ようやく自由の身が与えられた。生きているか、死んでいるか分からないが、もし生きていれば、誰にも束縛されることなく、残りの人生を謳歌できるであろう。ここはサッパリと諦めようということで家族全員区切りをつけた。
その一方で、慶の住まいの駐車場側の側溝には、白地にブチが入ったネコが迷い込んだままとなっていて、車を駐める度に寂しそうに近寄ってきて、ニャアニャアと鳴いている。普通の野良はどんどん居場所を替えるし、誰彼に近寄ってくることはない。たぶん長らく飼われていた飼いネコなのだが、何らかの理由で家が分からなくなり、路頭に迷っているのである。イヌやネコは、基本的に飼い主への恩義を忘れない。その意味では、両者は間違いなくペットとして横綱級である。

2012年10月 7日 (日)

メダカ飼育開始


Medaka

一人暮らしをしていると、夏を過ぎて朝晩冷えてくる季節を迎えた時に、無性に寂しい気分に陥ることがある。テレビやインターネットを観ていても、バーチャルな変化では心の癒やしには全然ならない。慶は鉢植えのガジュマルを3年ばかり育てている。枯れずに葉を拡げてくれているが、いかんせん食い物にならず、花も咲かせない植物では退屈である。かと言って、動物を飼うのも面倒だ。だいいち、長期の出張中に死なせてしまっては可哀想である。個人的にはネコを飼いたいが、アパート暮らしなので無理。鳥は糞害と鳴き声でやはり無理。あとは亀か金魚を飼うのが無難なのだが、この両者とも水替えと臭いが問題となる。結局選んだのはメダカということになった。7匹でたったの300円。しかも水草付である。

正直メダカなど店で買う必要はない。ちょっと田舎に足を伸ばし、ため池や小川に行けばいくらでも手に入る。しかし、40を過ぎたオッサンが、ため池でメダカを必死に取る姿を見られるのはおぞましい。(変なオッサン徘徊!)→(駐在に通報)で片付けられてしまう。結構田舎でも人目はあるのである。だいたい虫網を買うだけでも金がかかる。それなら、お店で300円出して買った方が経済的、精神的、時間的にも無難である。
メダカの飼育は小学校からやっていて、もう自分なりに道は極めているつもりである。こんなに飼育しやすい魚は居ない。メダカを死なす人は、水生生物を飼育する資格はない。それほど簡単だ。特にうまく藻を生やすことができれば、餌はあまりやらなくても良いぐらいである。しかし、緑に濁ると観賞できないので、適度な透明度を保ちつつ、水質を確実にコントロールするには、水草や巻貝とともに飼育するのが望ましい。こういう小さい魚は決して人に懐かないが、国産淡水魚で最も小型であり、目も大きくて実に愛らしいものである。
メダカを飼っていて一番感動するのは産卵だ。春先になるとメスがおしりに透明な粒々をぶら下げて泳いでいる。これを水草などに絡ませるのであるが、うまく受精が行けば、丸い透明な卵の中に黒い点が見えるようになる。赤ちゃんの目玉である。これが泳ぎ始めると、水面にか細い子供のメダカが出現する。これを見たら生命の営みに感激するのである。
しかし、メダカの赤ちゃんが生まれて有頂天になっていると危ない。注意しなければならないのは共食い。メダカの赤ちゃんは容易に親に食われる。生まれる手前から食われて、結局
1匹も残らなかったということもザラである。だから親の攻撃を鈍らせるために水を緑に濁らせるか、隠れ家としての水草をきちんと配置しておくことが大事である。
買ってしまった以上、またメダカ飼育に自身がある手前、しばらくはメダカの増殖にいそしむことになりますな。

 

「秋暮れど 雑魚が群れつつ いのち継ぐ」

2012年9月23日 (日)

ネコのお母さんの愛情

職場の駐車場側に住み込んでいる野良ネコ(メス)が1月ほど前にまたぞろ出産した。今度は3匹である。これが常にお母さんの後ろを陰のようについて回って、隙あらばお乳を吸っている状態である。しかし日に日に体の大きさがお母さんに近づき、母親は日々やせこけている。まるでタコが自分の足を食べているようなものだ。 あまりに痩せて可哀想なので、アルバイトの女性たちが餌をあげると、母ネコはそれをくわえてどこかトコトコ去り、後をついて行ってみると、物陰に隠れていた子ネコにポイと与えていたという。自分より子供に先に食わせなければという想いがよく伝わる。育児放棄や虐待、パチンコ中の熱中死などといった世知辛いニュースばかりなのに、野良ネコの母親でこれなのである。一体どうなっているのだろうか。
それにしても、野良ネコは常に食糧を確保することとに生死がかかっている。餌が尽きればのたれ死にだ。実際ほとんどがのたれ死にしている。本来ペットとして飼われるべき動物なのに、屋外で生死のラインをさまよわせるのはよろしくない。外国で野良ネコ対策はどうしているのかなと調べると、日本のNPO法人に相当する愛護団体が多数があって、常に里親募集をしているらしい。そもそも、犬やネコを飼う人は登録制で、飼い主には最後まで面倒を見る義務が負わされているようだ。ほとんど人間の世界と同じである。日本のように、野良ネコがそこらじゅうで闊歩していて、役所以外はアクションを起さない国は先進国とは言えないようだ
ネコの旺盛な繁殖力はどうしてもコントロールが難しい。ある程度隔離し、虚勢とワクチン接種などの防疫対策を施したうえで、里親を募集するシステムが居るだろう。自治体の腰は重いが、諸外国同様に、日本でもNPO法人がネットワークを構築し、ネコが本来ヒトの庇護下で幸せに生活できるようにしてあげたいものだ。

「優しさで すべてのいのち 実りゆく」