”ネットでは”のコメント紹介に違和感
地上波テレビを観ていて、時事ニュースなどについてMCとコメンテーターのやりとりが行われている時に、「ネットではこのような意見も出ているようです」と、ラインの吹き出しのような画面にネット上で飛び交っている意見を紹介したりするケースがほとんどになってきている。
これを見て慶は少し考えるところがあるので、徒然なるままに書いてみる。まず、この「ネット上の意見」とは何なのかということだが、これは個人の意見である。公共の電波で個人的意見をピックアップするのは要注意なので、ネット上のどこに出ている意見なのか、誰(あるいはどのような立場、世代の人)が発信しているのか、なぜ番組スタッフは多数あるネット上の意見のうち、この2,3の意見だけをとりあえげたのか、説明が必要な筈だが、そこの説明は一切ない。そうこうしていると、どこかの番組であったが、視聴者からの意見をツイッターやラインで質問形式で受付けるというコーナーで、実は番組スタッフが視聴者と偽って質問していたというケースまで出てきた(いわゆる捏造意見)。
「テレビ朝日の情報番組「大下容子ワイド!スクランブル」において、スタッフが事前に自作した117件の質問を、視聴者のものと偽って放送した。番組のチーフディレクターを務める子会社「テレビ朝日映像」の40代の男性スタッフが、番組に視聴者から実際に寄せられた意見や質問を踏まえて質問を自作し、それを放送で使っていた。番組で紹介した質問者の性別や年代、住所は 捏造されていた。放送された質問の約2割が自作の質問だった。同局の調査に対し、チーフディレクターは、「時間に追われる中、視聴者の質問とニュアンスが同じであればいいと思った」と説明したという。番組はこの質問コーナーを当面休止。同局とテレビ朝日映像がそれぞれの社内規定に従い、関係者を処分するとしている。」
この視聴者の質問コーナーでねつ造が起きた動機が重要である。「時間に追われる中、視聴者の質問とニュアンスが同じであればいいと思った」と説明しているように、要は手抜きなのだ。じゃあ、ネット上の意見というものに相当するものは、過去はどう扱われていたかというと、ディレクターなどが街に繰り出して、直接通行人にマイクを差し出して個人的見解を収集し、その一部を流していたのである。いわゆる街頭インタビューである。今はそういう手の込んだ意見収集が面倒なので、ネット上にゴロゴロ転がっている個人の見解のうち、番組スタッフが編集上都合の良い意見だけを採り上げているということなのだろう。まさに手抜きである。
ただし、過去の街頭インタビューの方が良かったか言えば、それも問題がある。だいたい、インタビューした人のうち、目鼻立ちがくっきりしてテレビ映えする素人、あるいはカメラの前でも臆することなく、ストレートに意見を言うレアな人ばかり取り上げていたので、やはりここでも相当なバイアスがかかっていた。結局のところ、公共の電波で個人的見解を垂れ流すのは、街頭インタビューだろうが、ネット上からアセンブルしようが、止めた方が良いのである。
もう一つ気になるのは番組側が地上波テレビとネットを明確に別世界と区分していることである。ネット空間に別の人々が居て、地上波テレビとはかなり異なる見解を持っているという前提で紹介されているが、ネット上の人も視聴者の一人であって、区別する意味があるのだろうか?ここに今テレビ業界が抱えている苦悩がにじみ出ている。テレビ業界がいうネット上の意見というのは、10~30代の、テレビを観ない世代のことを指しているのだ。40代以上の中高年はかなりテレビを観てくれているから、テレビ業界の顧客なのだが、30代以下はテレビを観ずにYouTubeやオンラインゲーム、SNSばかりしていて、テレビ業界としては取り込めていない。しかし、世代間の意見は平たく紹介しなければならないので、若者の意見として、「ネット上では」という形で、中高年とは異なる見解を紹介しているのであろう。
番組編集の手抜きが発生する背景も、若者を取り込めていない背景も、基本的に「地上波テレビの衰退」という基本的路線で説明がつく現象だ。ならば、地上波テレビは若者世代を取り込むために、もっと切磋琢磨しなければならないのに、実際にやっている番組は街ブラ、クイズ、グルメ紹介というしょうもないコンテンツばかりに成り下がっている。そうなってくると、鉄板顧客の40代以上も、早晩地上波テレビ離れを引き起こすことは確実だろう。