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2022年2月28日 (月)

”ネットでは”のコメント紹介に違和感

Web-comments


地上波テレビを観ていて、時事ニュースなどについてMCとコメンテーターのやりとりが行われている時に、「ネットではこのような意見も出ているようです」と、ラインの吹き出しのような画面にネット上で飛び交っている意見を紹介したりするケースがほとんどになってきている。

これを見て慶は少し考えるところがあるので、徒然なるままに書いてみる。まず、この「ネット上の意見」とは何なのかということだが、これは個人の意見である。公共の電波で個人的意見をピックアップするのは要注意なので、ネット上のどこに出ている意見なのか、誰(あるいはどのような立場、世代の人)が発信しているのか、なぜ番組スタッフは多数あるネット上の意見のうち、この2,3の意見だけをとりあえげたのか、説明が必要な筈だが、そこの説明は一切ない。そうこうしていると、どこかの番組であったが、視聴者からの意見をツイッターやラインで質問形式で受付けるというコーナーで、実は番組スタッフが視聴者と偽って質問していたというケースまで出てきた(いわゆる捏造意見)。


「テレビ朝日の情報番組「大下容子ワイド!スクランブル」において、スタッフが事前に自作した117件の質問を、視聴者のものと偽って放送した。番組のチーフディレクターを務める子会社「テレビ朝日映像」の40代の男性スタッフが、番組に視聴者から実際に寄せられた意見や質問を踏まえて質問を自作し、それを放送で使っていた。番組で紹介した質問者の性別や年代、住所は 捏造されていた。放送された質問の約2割が自作の質問だった。同局の調査に対し、チーフディレクターは、「時間に追われる中、視聴者の質問とニュアンスが同じであればいいと思った」と説明したという。番組はこの質問コーナーを当面休止。同局とテレビ朝日映像がそれぞれの社内規定に従い、関係者を処分するとしている。」

この視聴者の質問コーナーでねつ造が起きた動機が重要である。「時間に追われる中、視聴者の質問とニュアンスが同じであればいいと思った」と説明しているように、要は手抜きなのだ。じゃあ、ネット上の意見というものに相当するものは、過去はどう扱われていたかというと、ディレクターなどが街に繰り出して、直接通行人にマイクを差し出して個人的見解を収集し、その一部を流していたのである。いわゆる街頭インタビューである。今はそういう手の込んだ意見収集が面倒なので、ネット上にゴロゴロ転がっている個人の見解のうち、番組スタッフが編集上都合の良い意見だけを採り上げているということなのだろう。まさに手抜きである。
ただし、過去の街頭インタビューの方が良かったか言えば、それも問題がある。だいたい、インタビューした人のうち、目鼻立ちがくっきりしてテレビ映えする素人、あるいはカメラの前でも臆することなく、ストレートに意見を言うレアな人ばかり取り上げていたので、やはりここでも相当なバイアスがかかっていた。結局のところ、公共の電波で個人的見解を垂れ流すのは、街頭インタビューだろうが、ネット上からアセンブルしようが、止めた方が良いのである。
もう一つ気になるのは番組側が地上波テレビとネットを明確に別世界と区分していることである。ネット空間に別の人々が居て、地上波テレビとはかなり異なる見解を持っているという前提で紹介されているが、ネット上の人も視聴者の一人であって、区別する意味があるのだろうか?ここに今テレビ業界が抱えている苦悩がにじみ出ている。テレビ業界がいうネット上の意見というのは、10~30代の、テレビを観ない世代のことを指しているのだ。40代以上の中高年はかなりテレビを観てくれているから、テレビ業界の顧客なのだが、30代以下はテレビを観ずにYouTubeやオンラインゲーム、SNSばかりしていて、テレビ業界としては取り込めていない。しかし、世代間の意見は平たく紹介しなければならないので、若者の意見として、「ネット上では」という形で、中高年とは異なる見解を紹介しているのであろう。
番組編集の手抜きが発生する背景も、若者を取り込めていない背景も、基本的に「地上波テレビの衰退」という基本的路線で説明がつく現象だ。ならば、地上波テレビは若者世代を取り込むために、もっと切磋琢磨しなければならないのに、実際にやっている番組は街ブラ、クイズ、グルメ紹介というしょうもないコンテンツばかりに成り下がっている。そうなってくると、鉄板顧客の40代以上も、早晩地上波テレビ離れを引き起こすことは確実だろう。

2021年10月28日 (木)

デジタル敗戦を受けてどこまで修正されるのだろうか

All-home-working
新型コロナウイルスのパンデミックにより、国内は非常事態宣言下と同じような臨戦態勢となった。闘う相手はウイルスという目に見えない微生物、しかもヒトからヒトへと伝播する感染症だ。対策はソーシャルディスタンスという新語が示すように、できるだけ他人と会わないことが主な対策だ。運良くというか、過去のパンデミックと異なり、現代はインターネット情報網ですべての情報がやりとりできる時代だ。対策はネット環境を使ってできるだけ情報のみやりとりする方式が各国でとられた。
しかし、日本社会はこのネットへの対応で、世界の嘲笑を受けるほど遅れていた。その嘲笑の具体例を以下に示す。
・コロナの発生情報を国が集計するのに都道府県からのファックスをフル活用、2日遅れの情報集約。博物館に置いてあるファックスをまだ使っている国があるとバカにされると、都道府県のホームページの情報を、国が委託した民間業者が閲覧して数字を手集計する方式に改めるというお粗末さ。
・保健所によるクラスター追跡も電話ベース。保健所職員は疲弊。SNSを使って陽性者に問診する特別サイトもない。
・公立の小中高ではオンラインなど全く出来ず休校。大学はオンライン授業に切り替えたが、ほとんど通信教育状態で、これで授業料丸々とるのかとクレーム続出。
・給付金はオンライン申請されたのを紙で打ち出して口頭で読み合わせ。しまいには、手書きで郵送の方が早く処理できると呼びかける始末。申請内容をそのままシステム上で処理できないのだ。
・在宅勤務は1、2割止まり。非常事態宣言が出ると無理矢理在宅勤務に切り替えるが、実質は家でブラブラ。
ここまでダメダメ状態が続いたので、メディアでは「デジタル敗戦」という言葉まで出てきた。実際OECD加盟国の中では、感染症対策はダントツでできていたのだが、肝心のデジタル化で効率化させるという部分では完敗だった。負けは負けとして認めるしかないだろう。
元々日本は労働生産性を上げる必要性があったので、これはピンチでもありチャンスでもある。当然ここで嘲笑を浴びたものは、すべて徹底して改革して行くしかない。
まずやるべきは役所関係の申請の徹底デジタル化である。申し込み画面がスマホでできても、その後の処理が機械的にシステムの中で進まないと真にデジタル化とは言えない。入力間違いやなんやらで役人のチェックが必要というが、結局は文字情報のチェックである。住所、氏名、生年月日、収入情報などなど、あらゆる個人情報はデジタル化して暗号化できる。そのためにマイナンバーカード制度があるのではないか。今回のコロナウイルス対策でも、給付金申請でマイナンバーカードを読み取ることはあったが、もっとこれを徹底したら良いのだ。国が運用するシステムと個人がダイレクトにオンラインで結ばれれば、紙ベースで手続きする必要などない筈だ。そのことによって、膨大な事務手続きが省略できる。
次に在宅勤務だ。既に欧米では在宅勤務が当たり前になりつつあり、そうなると会社に通勤する必要もないので、郊外に出て自宅で働く方向に切り替えが進み始めた。このおかげで戸建て住宅の建設ラッシュとなり、木材価格が暴騰しているほどだ。少なくともエッセンシャルワーカーを除く、三次産業のホワイトカラーは在宅勤務でほとんどができるだろう。営業も自宅から直接顧客のところへ足を運んでも良いのだ。会社は結果だけ報告を受ければ済む。日本ではもともと通勤時刻が長らくストレス要因だったが、在宅勤務が増えれば毎日行く必要もないし、通勤時間も自由に設定できるだろう。たまに会社に行くにしても、朝から行く必要なく、昼飯食ってから出かける半日出勤でも良いのだ。
また病院とかでも、リモート問診なら自宅でできる。年寄りとか、薬を貰うためだけに病院に行って問診を受けて、薬局で薬を貰って帰るというパターンが多いが、リモート問診を受けて、自宅近くの薬局で薬を受け取るということは簡単にできる筈だ。
事業所での労働はリモート化が難しいが、生産現場のオートメーション化はさらに進むだろう。そうなると資本力がモノを言うので、多くの中小企業が統廃合で系列化されることはありだろう。
問題は義務教育の学校だ。ハッキリ言ってリモート化が非常に難しい。もちろん技術的にはできるが、対面とリモートの併用だと、逆に学校側の負担が大きい。パソコンを導入できない貧しい家庭への補助も必要となり、行政コストが上昇する。親が在宅勤務で子供もリモート授業だと、パソコンが各自1台必要ということにもなる。ここは諸外国の動きもみながらの対応になるだろう。ただ、地方の僻地では、子供が何キロも歩いて通学したりバス通学しているので、そうしたところは徹底してリモート化すれば、行政コストが大きく減る。

2021年4月 4日 (日)

日韓の貿易をめぐる鞘当てのその後と今後について考える

2019年7月1日に日本政府が発表した韓国向けの輸出管理適正化に関する措置により、日本から韓国にフッ化水素、フッ化ポリイミド、レジストを輸出する場合、契約ごとに輸出許可が必要となった。

この運用変更に関して、日本政府はシラを切っているが、実体は反日攻勢を緩めない文在寅政権に一撃を与えるための政治的な規制だった。当然韓国は猛反発し、日本製品の不買運動、WTOへの提訴、これら3品目及び日本からの輸入に依存している部品・素材について国産化を推進することを打ち出した。


それから1年半以上が経った現在、これら素材の動きがどうなっているのかさっぱり報道がない。


そこで、韓国の貿易統計から見ると、レジストとフッ化ポリイミドの2品目については国産化や他国への代替が進んでいるとはいえないようだ。まだ圧倒的に日本製品に依存している状態に変わりはなさそうである。というより、淡々と日本から韓国に輸出されているのだ。


一方で、フッ化水素であるが、日本からの輸入が大きく減る一方で、第三国からの輸入はさほど増えていないことから、国産化が急激に進んだと見られる。実際に、高純度フッ化水素分野の日本企業は、韓国向けの輸出が一気に無くなり、急速に業績悪化を招くなどの事態が発生している。


文政権の尻馬に乗って反日プロパガンダを展開する韓国メディアは、この部分だけを切り取って、日本完敗、韓国大勝利の大合唱をやっている。実際は韓国の1勝2敗である。


しかし問題はこれからである。いま世界的に半導体の供給不足が深刻化しており、自動車の生産が追いつかないなどの影響が深刻化しており、増産が求められている。また米中対立の結果として5Gやそのためのデータセンター構築、さらに半導体製造技術など、ハイテク分野からの中国のデカップリング(締め出し)も模索されている。正直日本と韓国が半導体分野で鞘当てをやっている暇は無いはずだ。もし韓国半導体製造企業が中国とのデカップリングの抜け穴になっているなら、製造拠点や技術をより信用度の高いアメリカ、日本、台湾へ避難させる必要がある。日本は元々半導体製造を手広くやっていたのだから、日本政府は台湾同様に低コストでの大量生産のための設備投資ができるよう、税制面で優遇措置を取るべきである。日本政府は昔アメリカとの半導体交渉でボロ負けして、日本の半導体分野を壊滅させたのだから、その反省の意味も込めて半導体製造技術の復活に取り組むべきだ。

2021年2月 5日 (金)

SNSにおける老害攻撃は姥捨山へと悪化しかねない

Narayamabushikou

 

東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)は、2月3日に行われた日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性は競争意識が強い。誰か手を挙げると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね」などと発言し、SNS上で炎上した。翌日謝罪会見を開いたものの、まるで他人事で記者の質問に逆ギレするなど反省の色は全く伺えず、火に油を注いだ。この人の失言癖は議員時代から一貫しているもので、失言というよりほぼ病気に近い。なんでこんな無神経な人を国際的イベントの大会組織委員会長にしてしまったのか、慶はテレビの画面に出てくるたびに首をかしげていた。そもそもメインスタジアムの建設が白紙撤回された時も、「僕はもともと、あのスタイルは嫌だった。生ガキみたいだ」と他人事のように見事にハシゴを外して見せたところから飛んでいた。

おそらく元ラガーマンという触れ込みで自民党の議員をやっていたので、そのコネクションがあるのだろう。今回の発言は世界レベルでみれば完全に一発アウトで、早く辞任させた方が良いだろう。仮に当人が言うように女性の比率をあげて何かコトが悪くなったとしても、それは女性の社会参加を促すという意味では折り込んで対応すべきなのだ。これが世界標準である。

老害の定義は広辞苑にあって「硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること。」と説明されている。その意味では今回の森会長の暴言のようにピッタリの事例が多い。80才を超えた麻生太郎も二階俊之も老害攻撃を受けているが、広辞苑の定義に当てはまりそうだ。

ただ森喜朗というのはそもそも個人の人格に問題があるのであって、それを「老害」というキーワードで一刀両断攻撃する若手SNS世代も勘違いしている。慶に言わせればどちらもおかしい。この老害というのは、やたらネット上にあふれているが、年齢だけを理由に人格攻撃するのは明らかに差別である。慶は老害という単語は基本的に差別用語であり、できれば放送禁止用語に指定すべきと考える。堺屋太一氏のコメントをネット上で老害攻撃していた時は正直驚いた。

高齢者が指導的立場を占めていても、組織の活力が失われなければ老害には該当しない。創業者が一線を引いた後に会長や相談役として組織に残り、経験ある年長者という立場で後進の育成に努めるケースは意外と多い。これは老害とは言えないだろう。SNSで攻撃している若者が、この微妙なニュアンスの違いを理解して使い分けているなら良いのだが、自分に都合の良い存在は無視して、気に入らないのは老害で攻撃して排除しているなら単なる世代間のヘイト、ネット上の姥捨山である。

とにかく人口の1/3が高齢者となる日が目の前に迫っている。高齢者をいかに社会参加させて行くかは、女性の社会参加同様に日本の重たい課題である。そのタイミングで老害というヘイト用語がネットにあふれる状況は社会の分断を引き起こすばかりで、慶は非常に懸念している。

 

2020年6月14日 (日)

Amazon.com・楽天になれなかった日本初のインターネット販売サービス企業

Daiichi-kaden

世界的に店頭販売からネット販売に商形態が大きく変化している。新型コロナウイルスによる巣ごもり傾向によって、この流れがさらに加速して、店頭販売などは少数派に墜ちてゆくのではないかと思われるほどだ。このインターネットで注文して、郵便や宅配便で家庭の玄関まで届けるサービスはいつごろ始まったのだろうか。

現在インターネット販売の巨人であるAmazon.comは1995年7月にアメリカでオンライン書店としてのサービスを開始している。その後、書籍以外まで販売対象品を広げて現在に至っている。アメリカ企業ではあるが、世界中で大量のインターネット販売を手掛けるなど、ガリバー企業である。従来の小売り業を根本から破壊してきた存在でもある。日本国内では、1997年5月に楽天市場がオープンして、Amazon.comと同じようなインターネット販売サービスを開始している。現在Amazon.comや楽天と争っているYahooショッピングは楽天市場よりもさらに2年遅れで1999年にインターネット販売サービスを開始している。現在この3巨頭が国内のネットショップ市場を牛耳っているのだ。1990年代の中頃から後半にインターネット販売というビジネスモデルが始まったと言える。

そもそもだが、玄関までモノを届ける通販という業態は古くからあった。新聞広告や折り込み、あるいは雑誌の片隅に通販の広告があり、あるいはカタログが送られてきて、郵便為替などで支払うと郵便で届くというものである。慶の実に恥ずかしい経験であるが、新聞広告で「寝ている間にグングン記憶できる枕」などというまがい物に飛びつき、送られて来たものは台形の枕の中にカセッテープ再生機が仕込んであり、コレで自分で録音した英単語のテープをかけなが寝ていたが、うるさくて全然眠れないし記憶もできないという笑い話もある。他にテレビショッピングというのも急拡大していた。日本通販などは、よく番組と番組の間にCM感覚で流れていたものだ。いずれも1970年代にその端緒が拓かれている。通販とインターネットショッピングは構造的に違いはないのだが、好きなものを無限に検索でき、注文した瞬間に発送準備が揃うという意味で、従来の通販やテレビショッピングとは一線を画している。

一方で、現在主流のインターネット注文・販売・配送システムであるが、実はAmazon.comよりも歴史が古い取り組みを行っていた日本企業があったことをご存知か?広島の家電量販店「ダイイチ(その後デオデオと改称→合併してエディオンと社名が変更)」がインターネット上で洋書の販売を行っていた。ホームページ上で会員登録して、その後取り扱える洋書を検索して、リストにあるとそれを選択してメールで発注するというものだ。価格は外国での販売価格(検索時の為替レートが勘案される)に、一定の手数料を乗じるスタイルである。あまり記憶は定かではないが、20%ぐらい上乗せすると、送料込みで送られて来ていたと思う。洋書というのは、よほどのベストセラーでない限り国内の本屋に並んでいないので、基本本屋で発注して入手するのだが、やたら高額な手数料を取られるし、船便とかなると2、3ヶ月はかかるので、早々に入手できるシロモノではなかった。それが、ホームページ画面から気軽に発注して、おそらく瞬時に外国へ発注情報が届き、多くは航空便で届くというお手軽なものだ。まさに今のインターネット通販のはしりである。電話もいらない、価格は画面で確認できる、確実に、早く、安く到着する。

このダイイチによる洋書のインターネット販売が開始されたのは、なんとAmazon.comが同様にインターネットで書籍の通販を始める2年前、1993年のことである。慶もインターネットでホームページにアクセスしたり、あるいはEmailなる、今では古いが当時は謎で斬新な通信手段を始めたのがこの1993~1994年のことである。まだホームページを開設している企業も少なく、それもパンフレットのような紹介サイトと連絡のためのメールアドレスが張ってあるだけのシンプルなものだったのだが、このダイイチの洋書発注サイトは斬新だった。知り合いがダマされたと思って試してみたらすぐ本が届いたということで、慶もネット元年でコーフン状態だったので、特に洋書など読みもしないのに、興味本位で発注したものだ(実際に確実に届いた)。それにしても、インターネットのごく初期に、本場のアメリカのAmazon.comより2年も早くインターネット販売を始めていた日本企業があったとは驚愕である。このダイイチとは本屋でもネット専門の企業でもなく、広島を地盤に西日本で広く家電販売を行っていた家電量販店である。当時西日本にはベスト電器という福岡を地盤とする家電量販店の巨人がおり、両者が熾烈な価格及び分厚いアフターケアサービス競争をやっていた。どういう経緯でダイイチが洋書販売を手がけたのか、ネットで調べても一切出ていない。しかも残念なことに、このダイイチが始めたネット通販は書籍大手やAmazonに食われてしまって、さっさと事業を手放してしまったようだ。もしダイイチが本気になって、書籍だけでなく、それこそ本業の家電やあらゆる商品をネットで販売する事業を拡大していたならば、今頃楽天市場を押さえ込んだ巨大ネット通販企業に成長していたかもしれない。しかし、家電量販店という立場上、ネットで家電を安く販売してしまうと、自分の会社の店舗を潰してしまうので、それはできなかったのだろう。エディオンとなった現在では家電だけでなく、多くの製品のネット販売を手掛けているが、一度手放したビックチャンスはそう簡単に戻っては来ない。実に残念な結末である。

2019年6月10日 (月)

SF映画も作家も予言できなかったスマートフォン

2001年宇宙の旅など、1960年代から1980年代にかけて、多くのSF映画が製作されている。宇宙を漂う宇宙船やら、他の惑星の上に展開する宇宙基地、レーザービームを連発する武器、情報化社会やロボットに縛られる奴隷のような国民などなど、30年、40年先の未来が克明に描かれている。まだ空飛ぶ自動車は現れていないが、ドローン技術を応用すると、それも不可能ではないようだ。しかし、どの近未来を描いたSFものであっても、2019年現在我々が日々使っているものを一つも予言できていない。それはスマートフォンである。

SF映画における未来の連絡手段は、相変わらず有線の電話か、テレビ電話である。テレビ電話は誰でも予測できるが、タブレット方式のスマートフォンは無理のようだった。いや、体に電話を身につけて歩くようなシーンさえないのである。いくら特撮に凝っても、こういう日用品を予言できないようでは、人間の想像力というのは、しょせん限定的なのかもしれない。ただ、SF映画のプロデューサーの想像力不足を嘆くより、スマートフォンを発明したスティーブ・ジョブが宇宙人過ぎることを褒めた方がよいのかもしれない。

それにしても、近未来予測もネタ切れ感が漂う。車が電気モーターや水素に変わっても、外観も走りも変わらない。動力が変わっただけである。それこそ、Back to the futureのように、ゴミを入れて核融合でも引き起こして空を飛ばない限り、未来感は出てこない。飛行機などは完全にこの30年間デザインが進化していない。船に至っては何も変わらない。電車もバスもみな同じだ。テレビも液晶になって薄型化しただけ。ドローンが出てきていろいろ活用範囲が広がっているが、これとてラジコンの延長版である。

しかし、ネット革命は確実に我々の生活を激変させてきた。第4次産業革命はネット革命である。既にインターネットでパソコンやスマートフォンが繋がることで各種の革命が起きているが、今後は上記の交通機関や日用品と映像が完全にネットを通じて連動する。車の構造は同じでも、運転する必要はないので自動車学校はなくなるし、バスも電車も無人だ。これはSF映画でも予言されていたことではあるが、それが数年もすれば現実のものになるかと思うと、ワクワク感が止まらない。一方で、大失業時代に、今の働く世代はどうやって家族を養うのか、大いに心配である。

2017年7月19日 (水)

憎き交通渋滞・交通事故をなくすAI自動運転技術

あまりニュースにならないが、日本人の死因は厚労省から毎年公表されている。

1位 ガン 
2位 心疾患 
3位 脳血管疾患
4位 肺炎
5位 老衰
6位 不慮の事故

まあそんなものだろう。身の回りの人の死亡頻度は、この順位のとおりである。この中でも、「がん」は圧倒的な死因となっている。また、「老衰」はすごろくで言えば「あがり」であり、これが死因だと「大往生」ということで、家族も安堵だし、周辺からもリスペクトされるものである。
今回は6位の不慮の事故の大半を占める交通事故を減らしてくれるイノベーションについて考える。先日も対向車線から車がジャンプしてきて、バスに激突する事故の映像が繰り返し流れていた。あれほど「不慮の事故」という映像はないだろう。自動車は基本的に鉄の塊であり、これが時速40km以上で人に向かって突入してくれば、これは銃で撃ち抜かれる以上に死亡のリスクが高い。
一方、平時の場合であっても、自動車による交通渋滞はとてもイライラする。ラ・ラ・ランドの冒頭よろしく、渋滞がひどいからと言って、車から降りて歌ったり踊ったりするなど論外だ。「時は金なり」なので、この交通渋滞による経済的損失は計り知れない。それも日本だけでなく、世界中で渋滞と事故は問題となっている。しかも、何も特効薬が処方されていない。
ここに来て、自動車各社はAIによる自動運転装置の開発に躍起になっている。これまで燃費や脱石油を目指した技術革新に血眼になっていたが、自動運転というソフト分野が俄然注目されている訳だ。慶もこの自動運転に着目している。それは、人が座ったまま目的地にゆけるという単純な自動運転機能ではなく、渋滞と交通事故をなくしてしまう効果が期待されるためである。
まず交通渋滞は簡単だ。カーナビで目的地を入力した場合、全体の交通量を把握したAIからの指示に従い、最も効率的なルートを案内してもらう。各自動車が分散して動けば、渋滞は自然となくなるだろう。今は各自動車がバラバラ動くから、どうしても交通量が集中したところで渋滞が起きる。AIが「集中させず、しかし最短で目的地に向かわせる知恵」を指示するのである。
さらに自動運転技術はGPSとも連動している。そうなると、歩車分離交差点では、信号さえも消える可能性がある。どういうことかと言えば、日体大の集団行動をみて貰えば分かるが、車同士がギリギリですれ違うことも可能なのだ。極端な話、どんなに接近しても、1cmの差で衝突を回避できるなら、それで良いのである(ニアミス歓迎)。そうなれば、まるで鉄砲の弾が乱れ飛ぶように、交差点を車が交差することも可能だ。それなら信号で車を停車させる必要がない。これまで、道路整備というハードに投資してた膨大な費用を、AIによる自動運転へと振り替えることで、何もハードを整備せず渋滞も交通事故もなくすことが可能であろう。
さらにこの方法は車同士だけでなく、車と人との間にも応用可能だ。スマホの位置情報と自動運転技術が合体すれば、車と人が物陰から異常接近しても、それを察知して緊急停止をすることが可能だ。スマホをもった子供が飛び出しても、その運動はGPSの位置情報で予め把握されているので、車もそれを瞬時に察知して制動できる。
こうした夢のようなイノベーションは、日本のようにゴミゴミしたところで開発すべきだ。当然日本企業もやっているとは思うが、このAI自動運転技術を用いた統合型都市交通システムの構築を官民総掛かりで開発して欲しい。特にその基本システムについては、日本の自動車メーカーはオールジャパンで共同開発すべきだ。
Develepment_of_autodrive_system


2016年11月28日 (月)

トランプさん、移民を放逐・関税強化しても雇用は戻らないですよ

いわゆるグローバリゼーションの大波が世界を覆い尽くし、モノ、ヒト、カネ、情報が国境に関係なく飛び交う時代となった。庶民階級でも安くて良いモノが入手できたり、世界中の情報を無料で入手できるなど、グローバリゼーションの恩恵は受けている。しかし、現実にはほとんどの先進国で賃金は減少し、金持ちはより金持ちになるという勝ち負けが明瞭となり、格差社会がよりひどくなった。逆に、途上国では外国資本の参入により、元手がゼロで経済成長と雇用の増加がおきた。グローバリゼーションとは、国と国の間の格差をフラット化する現象に過ぎない。本当にパイが大きくなったかどうかは正直良く分からない。
問題はこれから。イギリスがEUから離脱して国際社会に背を向け始めた。続いてアメリカでは実質極右のトランプ大統領が誕生した。どちらも、グローバリゼーションへの揺り返しとみられている。今後しばらくは、行き過ぎたグローバリゼーションへの反動として、ナショナリズムやポピュリズムが横行するようになるだろ。
トランプが言うように、移民を追い返し、関税を上げて国内に安い外国産のモノが溢れるのをとめてやる、というのは国内的には聞こえが良い。しかし、元々アメリカは高くてぼろい国産品に辟易とし、自由貿易で世界中から安くて質の良いモノやヒトを受け入れてきたのである。今更国内に雇用やモノの生産を回帰させたところで、元の高くてボロい商品しか生産できず、可処分所得以上に出費が増えるのではないか?
何よりあまりに無知すぎることは、これまで国同士のフラット化がグローバリゼーションとして進行してきたが、今後はヒトと機械の間でフラット化が起きる。すなわち、これまでヒトしかできなかった労働や知的創造の分野に、AIという新たな機械文明が入り込んでくるのである。我々人間は、これからAIとコスト競争にさらされるのである。AI技術の進展はすさまじく、これから10~20年かけて、すさまじい勢いで雇用がAIに奪われて行く。その影響は、移民の流入どころの騒ぎではない。AIにとられた雇用は完全に「純減」なのである。トランプさんの認識は、明らかに2世代古いのである。
自動車工場や食品工場で、ヒトの代わりにせっせと加工する装置は良く見るが、これからはこうした単純作業だけが機械の対象ではない。裁縫、料理、掃除などの家事はもとより、電車や飛行機の操縦、自動車の運転、健康診断、文章の作成から翻訳、裁判、株の取引、学校の授業、交通取締、接客、小型のモノの輸送、音楽から絵画まで、すべてAIで置き換えることが可能である。実はハウステンボスに隣接する「変なホテル」では、ロボットがフロント業務、荷物運び、清掃をやってくれる。そこに既に人間の姿はない。営業レベルで既にロボット化されているのである。おそらくここにAIを入れることは実にたやすいことだろう。
Henna_hotel

仮にすべての労働が機械に置き換わらなくても、ほとんどの作業をAIが行い、そのミスをヒトがサポートするという形はすぐに訪れるだろう。今のところ、機械はヒトの業務のサポートだが、今後はヒトが機械のサポートをするのである。恐ろしいことだ。コスト競争では絶対に勝てないし、何より機械は疲れないので、24時間働き続け、労働基準法も関係ない。絶対に企業はヒトよりAIを社員として選ぶだろう。これからは、先進国のAIと途上国の格安労働力の戦いになるが、そこに先進国の労働者の立つ瀬はない。
慶はAIが活躍する頃には第一線から退いているだろうが、いま20代、30代の若者は、働き盛りの時期にAIに職をどんどんとられていく。その時に、一家の大黒柱はどうやって家族を養うのだろうか?考えるだけで背筋が寒くなる。

2013年6月 6日 (木)

情報の虜になっていませんか

満員の電車やバスに乗っていて、ふと車内を見渡すと、殆どの人が携帯電話やスマート画面を凝視しているのが分かる。ある人はメールを打っているし、ある人は動画や音楽を聴いたり、ゲームに没頭している。コンテンツの利用方法は様々であるが、画面を凝視して、周りには全く目もくれないというのは同じである。
わずか10年前を振り返ると、こういう状況で車内で何をしていたかというと、雑誌や新聞、文庫本を読んでいる人が多く、それ以外は寝ているか、車窓の風景を眺めていた。紙媒体のメディアが、電子媒体に置き換わったと考えて差し支えない。情報の速報性、デジタル化が著しく進んだ証拠である。
慶はiPhoneユーザーなので、確かにすることがない時には、適当にiPhoneをいじっている。何もしないよりは時間を無駄にしていない気がするし、変に視線を気にするぐらいなら、画面を眺めていた方がまだマシという感じだろうか。しかし、あまり生産的ではないような気がする。
ただでさえインターネットが普及してネットサーフィンが主流になる状態で、我々は莫大な情報量の渦のさなかで漂流している感じがしている。そこに携帯端末がインターネットとリンクし、起きている間は常に情報の渦に巻き込まれ続けている。果たして、こうした情報の渦の前で、常に新しい情報に接していないと疎外感を感じるような状況になるのは自然なことなのだろうか。我々は、情報の選別能力が退化しているのではないか、検証が必要である。
朝のテレビ番組(めざましテレビ、ZIP、やじうまワイド)などを見ていると、朝っぱらから芸能ニュース、占い、ファッションやグルメ特集など、日々のビジネスには全くどうでも良いようなコンテンツばかりを組んでいる。昔は政治、経済、社会の最新ニュースを中心に、日本各地の朝の様子、政治経済評論家による時事解説、英会話のレッスン、道路交通情報など、番組全体がこれから始まる一日を実りあるものにするために役立つコンテンツで構成されていた。
今でも関根の無教養お嬢ちゃまが、唯一自慢できる英語力をご披露する英会話コーナーはある。これも確かに勉強にはなるが、基本的に一方通行の情報だ。昔は生放送・生中継でウィッキーさんが町に繰り出し、できない英語を無理矢理使わされる恐怖心に怯えた街角の日本人を追い回すという、妙な緊張感に包まれたコーナーがあったりした。中継画面に切り替わり、カメラの前でウィッキーさんが「グッド モーニング!」と挨拶している時から、後ろの通りを歩いている通勤者がカメラの前を猛ダッシュで駆け抜けている様子が映り、実際にウィッキーさんが動き始めると蜘蛛の子を散らしたように逃げ回っている。今思うと凄い映像なのだが、これはこれで、逃げることの後ろめたさ、仕方なく捕まって、レベルの低い英語力に自ら落胆・苦笑しつつ、ウィッキーさんが優しく教えてあげるというオチで、実に実りあるコンテンツだった。それがいまや朝から非生産的なワイドショー化である。皆同じ話題で攻めるから、どこのチャンネルに替えても金太郎飴状態。これでは全く意味が無いプログラムだ。だから慶は朝出勤前にテレビを付けているが、音声を消して、時刻と天気予報だけを眺めながら朝飯を食っている。
Wicky
何でこういうことになるのかと言うと、結局はインターネットでの検索数が多いコンテンツを選んで番組を構成しているからで、実際にその方が確実に視聴率が獲れるのである。慶はこれを「情報の虜」と呼ぶことにする。要するに、情報という媚薬に犯され、中毒症状を引き起こしている状態であり、問題の本質を見極める能力が退化していると言える。これはとても危険な兆候だ。ものの本質を考えずに、うわべだけ、興味を示すものを食い散らかすようなアクセスの仕方しかできない。アメリカの映画で、何十もあるチャンネルを、十数秒おきに替えて視聴しているぐうたらを描いているシーンがあった。面白くないなら、テレビを切って外に出るか、他のことをすれば良いのだが、中毒化すると、面白くなくてもテレビをスイッチを切れずに、ひたすらチャンネルを切り替えて、情報を探そうとする。人は情報がなくてもちゃんと生きて行く事は出来るから、時々立ち止まって自分自身を検証した方が良さそうである。

2013年1月10日 (木)

オンラインストレージすごく便利です

仕事が忙しくなると、どうしても必要最小限の処理を自宅のパソコンでやってしまう。もちろん、職場的にはデータを自宅に持ち帰ることは厳禁だ。良く顧客の個人データの入ったUSBメモリーを無くしたとかいう不祥事が新聞沙汰になるから、会社としてはコンプライアンス的に禁止する。しかし、人件費をケチり、やたらとあれもこれも仕事をさせ、かつ残業代は出せないから帰れ、しかし成果は要求するぞとなれば、個人防御として自宅でくつろぐ時間を犠牲にして仕事をやることになってしまう。要するに、データを持ち出すのは個人の不祥事ではなく、職場の節操のなさを社員が被っているだけのことである。
個人情報や重要資料は絶対に持ち出さないにしても、簡単な文書作成や連絡事項に関する作業のためにデータを持ち歩くことは日常茶飯事。ただ、作業を行ったデータの更新がこれまた大変である。せっかく自宅で作業しても、データを職場に持って帰るのを忘れれば作業はすべて水泡に化す。肌身離さずパソコンやUSBメモリーを持ち歩くのにも限界があるし、だいたいデータを失う危険性が高い。そうした時に助かるのはオンラインストレージだ。
いまのパソコンは常にインターネットに繋がっていないと使い物にならない。オンラインストレージとは、ネット空間に繋がっているサーバー上に、一定の容量のディスク空間を提供するサービスだ。パソコンのハードディスクやUSBメモリーに入れて置くデータをこのサーバー上のオンラインストレージに入れて、常に同期を取るようにしておけば、自宅だろうが職場だろうが自由にアクセスして最新のファイル状態に更新できる。少なくとも、データの更新時に第三者にデータが盗まれる可能性は低いのでコンプライアンス云々もギリギリ回避できる(ウィニーなどは危ないが)。クラウドという仮想空間とのプログラムやデータの同期が広がりつつあるが、オンラインストレージはそのはしりである。そう何年もせず、すべてのデータはネットの仮想空間にあり、「メール添付」などというヤボなスタイルはどんどん無くなるのであろう。
そういう目的で、慶はまずGoogle Driveの利用を始めた。何と5GBの容量を無料で利用できる。こんな立派なサービスはないと思って始めたが、1ヶ月ちょっとで異変。全く同期が取れなくなった。同期を確認するタスクバーが消えて、同期ができなくなったのだ。いろいろ調べたり再インストールをしたが全然ダメ。ネットで調べると、同じようなトラブルが続出しているものの、Googleサイドからは、「変なウイルスに感染したんでしょう」という投げやりな回答しか出ていないという。要するに出来が悪いプログラムを改善していないのである。そう言えばgmailも操作性が悪くて使い辛い。ちょっと前までワードやエクセルに類似したソフトも無料で配布していたが、いつの間にか消え失せた。しょせんgoogleは出自が検索エンジン会社であり、ソフト開発はド素人的な会社なのである。聞けば最近株が暴落しているとのこと。これ以上クレームを入れると、「タダで利用していて厚かましい」と突っ込まれそうである。これでGoogle Driveとは永久におさらばすることにした。
ということで、現在はDropboxを利用している。無料での容量は2GBであるが、さすがにサービスを開始して歴史があるので、出来は良い。見事に同期が取れる。2GBは少ないが、写真などを同期させなければ事足りる。