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2020年9月 9日 (水)

自由民主党総裁選3候補の主張を聞いて

Ishibasugakishida
9月8日の報道ステーションの生放送において、自民党総裁選の3候補が生論戦を行っていた。せっかくの機会なので、じっくりと表情から発言内容まで慶は集中して聞いていた。先に結論を言ってしまえば、石破候補が諸事についてダントツで達観して正論をズバリと展開しており、3候補者中で頭2つぐらい飛び抜けている。

特に石破候補がかつて大臣をやっている時に、「秘書官にはモノ申す人材を登用した」と主張した点が大きい。今の安倍・管コンビが、自身の主張にべったり従うイエスマンばかりを登用して忖度集団を形成したことに対する、完全なる当てこすりでもあるが、正鵠を射ている。権力者は、常に厳しい意見に耳を傾けた上で判断しなければならないのである。逆に、モノを申す部下をうまく説得し、組織全体をしっかり運営できる権力者ほど万力であることは言うまでもない。イエスマンばかり登用して好き放題に権力を振るうのはただの専制であり、中国、ロシア、北朝鮮の引き写しなのだ。

管候補の話しぶりを聞いていると、1つか2つの実績もしくは統計上の数字を持ち出して、すべてがうまく行っているかのような話しぶりだ。また、都合の悪い質問が来ると、専門家の意見を聞かねばならないとか、各省庁にその責任があるとかはぐらかしの答弁ばかりやっている。これは、官僚のよく使う責任逃れの手法であり、政治家の説明にはなっていない。小泉から安倍まで、時の権力者のイエスマン、司として生きてきた人間の悲しい性だ。しかし、彼が仮に総理大臣に選出されたとすれば、その瞬間から日本国のリーダーであり、すべての結果責任、検証の矢面に立たされる。責任転嫁ができない立場に晒されるのである。官僚の出してくる経済対策や感染症対策は表面的な弥縫策であり、木に竹を接いだ低レベルのものだ。これにそのまま乗っかって失政を重ねて官僚に責任転嫁すれば、それは民主党政権時の振る舞いに逆戻りするだけのことだ。慶は最有力候補の管候補は、正直総理大臣としての器があまりに小さすぎると心配だ。ただ、自民党のほとんどが管総理での内閣・党人事のぶんどり合戦しか考えていないから、所詮1イニングだけの継投策なのだろう。お手並み拝見というところだが、器が小さいので期待は禁物だ。こうして見ると、あらゆるシュチュエーションが、第一次安倍内閣のあとの福田内閣と被る。

管候補は自民党の各派閥の力学から自分に風が吹いていることは承知しているだろう。ただ、これを自らの実力だと錯覚してアピールしようとしたら一気に足下をすくわれるだろう。立候補の表明で自らのキャリアを語ったのは、ゲタを履かせてもらった事実を自分の実力であるとすり替えたものだ。東北方式の余計なことは言わない、心のうちを悟られないようにのらりくらりと狸戦略で通し、面倒な仕事は全部部下にやらせて、結果が出れば自分の成果としてアピールする。ちゃんとやっている、うまく行っていると現実を見ずに強弁するようになれば、それは南朝鮮の文在寅と全く同じやり口に墜ちてしまう。こういう土百姓的な行き方のトップは、東北や関東では通用するかもしれないが、日本全国あるいは西欧の同盟国には全く通用しない手口である。

岸田候補については、安倍総理の禅譲を期待していたものの、はしごを外されて悲壮感が漂う。しかし、相手側の話を聞いたり、討論の進行の中で話題や質問を振られた時の回答では、物腰が柔らかく、現実認識・庶民感覚が大変優れた議員で、ポピュリズムとは最も遠いところに座っている政治家だ。安倍・管VS石破の対立軸に埋没しているが、こういう機会にしっかり持論を主張していただき、次に繋がるように活躍を期待したい。

ポスト安倍はなかなか居ないと言われていたが、実際にその通りの展開である。もちろん、これから秋冬の新型コロナ第三波が押し寄せて来るかもしれないと言われる中で、しかし経済はU字回復させねばならないという重大局面なので、あまりコレに時間を取らせるわけにも行かない。日本経済は待った無しの状態なのだ。

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