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2019年3月 7日 (木)

人は「時代」の歯車である

もうすぐ平成が31年間で終わろうとしている。そのタイミングとたまたま同調するかのように、昭和の大スターや政治家の多くも次々に去っている。そうした大スターや政治家がこの世を去った時に、昭和という時代はこうこうで、この人はここまで活躍しましたという紹介映像が良く流れる。そういう映像を何度も見ていていつも感じるのは、「人というのは、死んでしまえば記憶以外には何も残らない」というものだ。しかし、数十年もしたら、人々の記憶からさえも完全に忘れ去られ、青史に書き残されない以上、存在さえも消え去る。残るは墓石だけである。その墓石を管理する子孫でさえ、ひ孫の代になれば、全く忘れ去られる。そうなると、ただ文字が刻まれた石碑だけの存在となる。そう考えると、今自分がこの世に存在し、社会と繋がっていることは実に素晴らしいひとときであるということで感謝の念が絶えないとともに、一方で、この人生というわずかな時間は「異次元空間」に一時的にポッと開いて存在しているだけであって、死んだ瞬間に閉じて消え去るということを悟るのである。
一方で、そうした異次元空間に仮の住まいをしている人々の集まりが家族であり、地域であり、国であり、世界である。そうした人々によって企業や自治体が運営され、資源開発によってモノが生産され、文明が発展し、異次元空間は膨張するのである。いずれにしても、人の人生というのは、時代を構成する一員であり、重要な歯車であると言える。そう、人は歯車なのである。人の存在が歯車というと、高度経済成長期のモーレツ社員のような社畜、テレビの画面を数年だけ埋めるだけの女性タレントのような、使い捨て文化を彷彿させるが、決して間違った見方ではない。歯車は非常に丈夫であり、それらが集合してかみ合うことで、大きな組織が動き出し、文明が発展する。1つでも壊れてしまうと、全体運動に影響が出てしまう。だから、歯車は大事な存在なのであり、役割を終え、取り替えられるということでリタイヤしたら、存分に余生をゆっくり過ごして貰うのが当たり前である。
慶は自分が歯車だと悟った後に真っ先に取り組んでいることは、まずは自分の人生というものを冷静に見つめ直し、自分の子孫や友人に無形のものとして継承できるような知恵を整理しているところだ。

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