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2019年2月14日 (木)

便利さの先にはサボり癖しか待っていない

先日ニュースを見ていたら、日本の即席麺市場についての記事を見つけた。市場調査会社の富士経済によると、「カップ麺」は新ブランドの相次ぐ発売や、災害の備蓄需要などの要因も重なり2014年から右肩上がりの販売量(2017年は37億500万食)を記録しているのに対し、「袋入り」のインスタント麺は4年連続で前年を下回り、16億6770万食(2017年)とカップ麺の半分以下の販売量に落ち込んでいる、とのことだ。即席麺市場はこの少子高齢化にも拘らず、まだ伸びている。しかし伸びているのはカップ麺で、袋麺は年々減っているという。その最大の理由は、「袋麺は作るのがめんどくさい」というものだ。正直聞いて呆れた。
そもそも、即席麺と言うぐらいだから、袋麺であっても簡単に調理できる。お湯を沸かして麺を放り込み、ふやけたら粉末スープを入れておしまい。実に簡単なものだ。これが面倒とは一体どの口が言っているのだろうか。そう言う輩は、そもそも炊飯さえできないのではないのだろうか?
もちろん、カップ麺の手軽さは群を抜いている。電気ポットのお湯をカップに注いで、そのまま食べるだけだから、これほど手軽なものはない。しかし、カップ麺は高い。コンビニだと180円ぐらいする。対して袋麺は5袋入っても350円ぐらいだ。1袋あたりの単価は袋麺の方が半分であり、かつ麺の重量から言っても袋麺の方が量が多い。絶対にコスパは袋麺の方が良いのである。しかし、消費者は高くても便利な方を選択している。
こうした「消費者が楽さを求める」ビジネスモデルを追求した結果、緑茶は乾燥茶葉ではなく、煮出した状態でペットボトルに充填して売られるようになり、かつお節はスライスしたものが袋に小分けされて販売。もはや現代日本人は急須でお茶を淹れることも、かつお節をスライスすることも止めてしまった。便利になるしゴミもあまり出ないのだが、コストはかかっている。逆にこうした簡素化に付いて行けない分野はどんどん取り残されている。



スマホ片手に家にいて世界中の情報を入手でき、カップ麺にお湯を注いで腹を満たしてペットボトルの茶を飲む。それは実に簡単で快適な生活だろうが、どう考えてもケージの鶏という感じがする。一度こういう生活に慣れてしまうと、何もかもがめんどくさく感じるようになり、そうなると向上心の芽が摘まれ、イノベーションは起きなくなるに違いない。例えば、工芸品などは、材料も道具も現代はよくなっているのに、安土桃山時代や江戸時代の職人が作り出す作品には足元にも及ばないのである。便利な先には必ず怠惰が蔓延している。こういう生活に慣れてしまうと、精神的にも老人化するのだ。怠惰を助長する市場の拡大など、いずれ国を滅ぼすような気がする。カップ麺ごときでと思われるかもしれないが、どこかで頭のスイッチを入れ替えないと、日本は置いてきぼりになるかもしれない。

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