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2015年11月27日 (金)

拉致の本家本元は日本だな

安倍総理が就任直後に、北朝鮮との国交回復が一時進展しかけた。日本側は当然「拉致問題の解決」が優先事項で、あちらも「誠意をもって調査する」と回答している。その後の経緯はご存じの通りで、いつものようにやりたくない北朝鮮側ののらりくらりした対応に振り回されている。
向こうが拉致問題について、「屁とも思っていない」のには理由があろう。なぜなら、元々歴史をひもとくと、拉致や誘拐は日本の十八番だったのである。特に、「倭寇」が活躍した室町時代には、日本人主体の海賊が朝鮮半島や中国沿岸へと盛んに攻め込み、物品の強奪だけでなく、人の強奪も盛んにやっていた。特に倭寇の根城であった五島などは、「昔海賊が朝鮮半島や大陸から美人ばかり拉致してきたから、今でも美人が多い」という、まことしやかな噂があるほどである(美人の定義が昔と現代が同じとは思えないが...)。
その拉致人材が日本で大活躍した事実を歴史は記録している。最も典型的なのは、豊臣秀吉の朝鮮侵攻の際に、西国諸大名が多くの朝鮮陶工を「拉致(誘致?)」して自国へ移住させたことであろう。その最大の成功例は、「古伊万里」で有名な有田焼である。
今更慶が言うまでもなく、有田焼は中国の景徳鎮と並び、ヨーロッパの陶磁器生産に多大なる影響を与えた。特にドイツのマイセンは影響を受けた窯元として有名であるが、デンマークのロイヤルコペンハーゲンなどにおいては、古伊万里の特徴である唐草模様とコバルトブルーの色調が完コピーである。ヨーロッパの王族がこぞって作成した白磁は、すべて有田焼の模倣と言っても過言でない。
朝鮮陶工を拉致した時代、日本は戦国時代であり、茶の湯の文化を重んじた。だから、価値のある茶器にはいくらでも金を惜しまない文化があった。一方朝鮮では、日本よりも進んだ白磁の制作技術はあったものの、その陶工はあくまで最下位の技術者、すなわち官製工房に所属する奴隷に過ぎなかった。移住(実質は拉致)した朝鮮陶工は、北部九州で盛んに白磁に適した陶土を探し求め、佐賀県や長崎県で良質の陶土に巡り会い、白磁の生産に取り組んだ。彼らは半島出身者であることを一切隠すことはなく、淡々と時の支配者のニーズを取り込むかのように、白磁の生産に没頭した。その結果が、あのような芸術的な作品まで昇華したのであろう。
後年、朝鮮半島から日本へ移住した陶工の子孫を再び朝鮮半島へ呼び戻すために来訪者が多数あったようだ。しかし、移住した陶工は既に日本文化へと馴染んでしまい、朝鮮半島に帰還する者はほとんどなかったという。この話を聞くと、アメリカに移り住んだユダヤ人との共通性を感じる。技術や信条で勝負する人にとっては、それを尊ぶ土地にどんどんと移り住んで行くのであろう。
慶は結果論であるが、戦国時代に拉致された朝鮮陶工は、母国で陶工マシーンとして使い捨てられるより、日本に移住し、その能力を極限まで高め、単なる陶工から芸術家へとステップアップして一生を全うできた当時の日本の労働環境に満足していたと推測する。いまでも技術者に国境はない。そういった意味で、実力ある者は、適地へと羽ばたき、どこでもその才能を開花させることができるという、グローバル社会を400年以上前に達成していのだと思う。

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