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2014年3月 3日 (月)

サイドストーリーに終始する日本のマスコミ

理化学研究所の小保方博士がSTAP細胞の作成に成功したとの報道があった時に、日本のマスコミはその成果を詳しく報道することはほとんどせず、「リケジョ」「指輪は何のブランドか」「幼少期の親族の印象」などを中心とした報道に終始し、科学者から「本質を報道しない偏ったもので、研究の障害になる」とのクレームが出された。言われてみれば、最近の日本のマスコミは一事が万事、このノリである。
こうしたノリはオリンピック報道でも同じで、TBSの王様のブランチなどは、スキージャンプの葛西選手が銀メダルと銅メダルをとった後に、選手としての努力の軌跡やメダル獲得した時の活躍ぶりはさておき、札幌で行きつけのカレー屋での裏メニューだけで延々番組を構成していた。やれ月に何回来るとか、何を会話したとか、支払いは後輩の分までやるとか。オイオイ、この番組一体何なんだと突っ込んでしまった。葛西選手をネタにグルメ訪問番組になっている。目的が全然違うだろうが。
ワールドカップやオリンピックなどで活躍あるいはそれが期待される選手が居ると、何をさておき幼少期の親戚や同級生の証言ばかり。肝心のプレーの分析など全然ない。延々とサイドストーリーだけが続くことになる。スポーツ選手は芸能人で無いのだから、サイドストーリーよりもプレーなど本質で論議しないと意味がないのではないか。
こういうサイドストーリーだけで盛り上がるのは、元々深夜番組やワイドショー、週刊誌の世界である。その悪習がゴールデンの報道番組やバラエティーにも持ち込まれてしまい、もはや24時間ワイドショー化している。頭の固いNHKだけが、ゴールデンだけ本質論で通している。
視聴者が庶民だから、何が何でも視聴者、素人目線に落として番組を構成した方が視聴率を稼げるという事実は認める。しかし、政治家、経営者、芸術家、弁護士、官僚、アスリート、科学者などなど、仕事の重みとその実行力で人物評価されるべき職種の人まで、ルックス、出自、趣味・性格、家族構成、などの属人的切り口で矮小化されてしまうのはどうなのだろうか?週刊誌程度なら情報が流布する範囲が限られるから良いのだが、テレビとなると不特定多数だ。もうちょっと本質で報道するよう、何から何まで大衆に迎合して質を落とすのは斜陽国家の極みなので、マスコミはこの機会に猛省すべきである。

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