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2014年3月 7日 (金)

長渕剛と稲森和夫との「薩摩っ子対談」

ミュージシャン長渕剛さんが、精力的に津波と原発被災地を訪問して慰労している姿が印象に残る。ある時、JALの機内誌で、彼の生い立ちについて赤裸々に述べられた記事を見つけた。とても素晴らしい内容だったので、以下に原文のまま記します。



うちのオヤジは種子島の出身で無学だったものですから、体一つでのし上がらないとしょうがないと柔道を始め、島を出て警察官になったんですね。単身赴任で県内各地を転勤していたので、キャッチボールをしてもらった思い出はほとんどありませんが、1年に1回だけ、125ccのバイクで、おふくろの郷里の指宿温泉まで連れて行ってくれた。帰る頃には僕が寝てしまうものだから、柔道3段の黒帯で自分の体と僕と荷台を結んで、錦江湾の海沿いをずーっと走って鹿児島市内に向かうんですよ。その時のオヤジはとっても優しくて、宮ヶ浜で休憩しようと言って、浜辺で母の話をしてくれたり、タバコをくゆらせながら海の向こうを黙って見つめていたり。僕はそんなオヤジの強い背中を見て育ちました。
一方のお袋は、大根1本いくらって、家計簿に書き込む倹約家です。でもおやじが給料袋を持って帰ってくると、袋をバッと破って家計簿に額名を書きながら「出世しないものだから、腐っされおんじょ(おやじ)が!」と鹿児島弁で吐き捨てて、いつも大げんかになったんですよ。お袋は、夫婦げんかをした翌日にはおむすびを作って、「つよし行こうか」と、山の上にある水源地まで僕を連れて行ってくれました。切り株に腰掛けて夕暮れまでそこで過ごし、夕焼けを見ながら「昨日はごめんねぇ。父ちゃんと喧嘩してねぇ」と。で、いつも童謡を歌ってくれたんですね。男は強くなきゃいけないし、我慢しなきゃいけないし、優しくなきゃいけないというのは父から教わったし、悲しみとか慈悲の心というのは、母から学んだように思います。



JAL機内誌 。SKYWARD 2012年12月号より

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