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2014年2月 1日 (土)

明日、ママがいない: 安直に社会の暗部に切り込んで墓穴を掘る

どこの国でも社会の暗部はある。地域、組織、個人が表だって処理しきれず、しかし抱え込んでしまうとにっちもさっちも行かない事案が、ひっそりと放置あるいは適当に蓋をされてしまうことがある。日本で言えば、部落差別、在日朝鮮人の人権問題、身障者の雇用待遇、産廃問題などなど。
こうした社会の暗部に敢えて切り込んだドラマが、飛ぶ鳥を落とす勢いの日テレから放送されている。「明日、ママがいない」。舞台は捨て子を引き取って育てる児童養護施設である。それだけでもディープな設定であるが、そこに差別やイジメ、施設職員による言葉の暴力問題まで持ち込んでいる。それでも現実の施設が抱える問題をデフォルメして、脚本家の手によって多少なりとも大衆化させておけば芸術作品なのだろうが、子供達の力強さを強調させたいため、現実の施設の取材結果などを考慮せず、ひたすらグロさを立ちこめさせて出口とのコントラストをつける筋書きに落とし込んだのが失敗だった。ベースとなる問題に肉付けするならまだしも、不勉強なのに安直に暗部に切り込んで煽ってしまったといえる。
小学生の主人公が、不遇な環境(かなりグロい表現や設定)の中でも困難に負けず強く生きていく様を描いた物語といえば、これは「家無き子」の焼き直しだ。同じ日テレなので、もしやと思って調べると、脚本が野島伸司で、家無き子と同じだった。なるほど、そういうことか。成功した家無き子と同じグロ路線で、恐いモノ見たさの好奇心で視聴者を誘い出し、売れっ子子役をわんさか集めておけば確実に視聴率が稼げる。そんな思惑が透けて見える。製作サイドとしては、成功体験と数字稼ぎのセオリー(子供は確実)に準じた盤石のドラマ設定だったに違いない。
Asumama

これだけ施設関係者などの反発を受けて、BPOへの審査請求も出されて、スポンサーが全社CM放送を辞退しても、番組放送を強行するというのはかなり尋常ではないシュチエーションである。番組ホームページにも騒動に対する放送局としての見解は一切出ていない。日テレ制作サイドは「番組を最後まで見てから判断して欲しい」というが、最初の2,3話でこれだけ問題となれば、もはや最後まで見なくともグロ番組のレッテレルを貼られておしまいだろう。そもそも子役の名前からして差別で充ち満ちている。これは正直ひどい....BPOの審査にかかれば一発アウトである。そもそも施設の子供らはとてもではないが見てられない。
何より可哀想なのは、無謀な脚本家の指示に従って真面目に演技している芦田愛菜など優秀な子役の面々だ。下手に最終話まで放送されると、負のイメージがべったり付いてしまい、今後の出演に悪影響が出てしまう。子役の事務所周辺サイドから番組打ち切りの声があがる可能性もある。
しかし問題をややこしくしているのは、視聴率が高く、面白いという意見がかなりあること。しかし、これはマイノリティーの世界を知らない素人が、設定のグロさをおもしろおかしく傍観しているだけでかなり危うい。児童養護施設側から賛辞の声が上がらない以上、いくら視聴率をとっても「悪ノリドラマ」以外の何物でも無いし、表現の自由で押し通すような話でもない。

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