« コスモス咲きましたよ | トップページ | もういい加減に考えないと持たない社会福祉 »

2013年9月26日 (木)

やられたらやり返す、倍返しだ

ドラマ「半沢直樹」。このドラマは銀行マンという地味な職場の中で繰り広げられる、ドロドロとした企業内政治をことさらデコレーションした、いわゆる勧善懲悪モノである。”正義はへこたれない、最後は勝つ”というわっかりやすいコンセプトが貫かれている。何と最終回の視聴率は42%と「家政婦のミタ」超えであった。あの憎き大和田常務を遂に追い込み、役員が居並ぶ前で土下座させることに成功した半沢。大和田によって自殺に追い込まれた実父の、長年の怨念を晴らした瞬間であった。冷静に考えると、恨みを人生最大のモチベーションにして生きているサラリーマンというのはかなり異常だと思うのだが、そこはドラマだからお咎めする必要もなかろう。
正直サラリーマン世界の企業内政治に振り回されるほどバカラシイものはない。このドラマで出てくるような狡猾で腹黒い上司というのは、どこに行ってもゾロゾロいる。能力がない人が上に行くには、部下を踏み台にして、上司にゴマをするしか方法がない。実にいやらしいが、人が作る組織というものは、制度的にこうなる運命を抱えている。ヒラ社員から見れば、部下の信頼の厚い人にできるだけ上に上がってもらいたいと考えるが、そういう人は企業内政治に弱く、周りの変化について行くのが遅いので出世は期待できない。
殆どのヒラ社員は言われたことだけこなして、歯車以上の働きはしない。仮に出世して偉くなってもややこしい責任が発生して、しかも忙しくなる。その割に管理職の給料などたいして高くはない。日本企業の中間管理職は権限が弱く、給料も外国に比較して安いので全然メリットがないのである。それが分かっているから、組織忠誠心など出てこないのである。
ヒラ社員にこよなく愛される上司というのは、部下を放し飼いで、上に対してはケンカばかりして部下を構う人、あるいは部下に小さな仕事を与えて、達成したらおだてて満足させ、”自分は人をよく育てている”と自己満足の世界に浸る、というのが多い。昔は人徳の塊のような人も居て、何も指示めいたことは言っていないのに、いつの間にか部下が全力で働いて組織も順調に回転していたこともあったそうだ。しかし、失われた20年の世知辛さのために、そんな超人的な上司は絶滅した。いま部下に慕われて人望がある管理職とは、行列がばらけても知らんぷり、放し飼い、あるいは行列の最後尾の人に合わせて全体の走行速度を遅らせる人だ。
ヒラ社員から見れば、同じ給料なら楽な方が絶対に良いに決まっている。ヒラ社員をだらっとさせて給料をシッカリ与えれば人望はあるだろうが、多分それをやられると会社は成り立たない。全体進行速度を気にしない人に任せると、会社は他社との競走に敗れてしまう。会社が潰れては元も子もない。だから現実の会社では、常に行列が他社よりも早く進行するように、おだてたりムチを打ったり、脱落する人に鈴をつけたりする嫌われ役の管理職というのは必要な役職なのであろう。昔は窓際族というのがあったが、現在は窓際族の烙印を押されると退社するのが原則だ。笑顔の仮面の下に、鬼軍曹の顔をちらつかせないと、決して組織は動かない。
しかし、半沢のように若い社員が大企業の中で無理難題へ果敢にチャレンジし、悪徳上司を追い落として会社を叩き直すなどあり得ない。いや、そういう生きの良い人材が居るなら日本も先が明るいが、今の若手に多い草食系人種にそんな大それたことなどできないし、本当に権力者相手にやったら即刻パージされる。そもそも日本社会はカウボーイを徹底排除する社会だ。加えて職場での安全運転を望む保守的な奥さんが、”もっと戦え、頑張れ”など言う訳がない。結局抑圧されたサラリーマンのあり得ない欲求をドラマに具現化させただけのことで、バーチャルな世界のおとぎ話であろう。実社会はドラマほど簡単ではないですよ。

Naoki_hanzawa_last




最終回は、悪の権化である大和田常務がお尻ペンペン程度の降格人事で、一番苦労した筈の半沢が昇進どころか出向という懲罰人事を受けて、さらに闘争心に火が付いた状態で終わった。おそらく、パート2や映画化が予定されているのだろう。明るい話題の少なかったTBSはイケイケなのだろうが、正直あのノリでパート2が出ても、現実遊離に適応できない慶はもうどうでも良いという感じだ。

« コスモス咲きましたよ | トップページ | もういい加減に考えないと持たない社会福祉 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: やられたらやり返す、倍返しだ:

« コスモス咲きましたよ | トップページ | もういい加減に考えないと持たない社会福祉 »