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2013年1月31日 (木)

ただ者ではないぞ中田ヤスタカ

年をとってくると、自分がティーンエイジャー時分に聞いた曲ばかりを繰り返して聞くなど、最近の若者が聞いている楽曲に全く興味を示さなくなるのが常だ。これもある意味、老化の兆候である。慶に限ったことではないから、深刻に気にする必要はあるまい。何の曲を好きになるか、個人の勝手である。「そんな曲古~い!」とバカにされても、知ったことではない
そういう慶ではあるが、はまっている新進気鋭のミュージシャンがある。何とPerfumeときゃりーぱみゅぱみゅである。これをカミングアウトすると、ほとんどの周りの人間から、「ああ、ロリコンだったんですね」と冷たい言葉を浴びさせられる。ロリコン...何と投げやりな感想なのだろうか。「いや~、楽曲に惚れているのであって、歌っているのがたまたま若い女性陣だっただけ」と否定しても、どうせ言い訳としか取られない。確かにきゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」をオッサンが聴いていたら、社会通念上ロリコンに違いない。勝手にロリコン扱いするのは自由だが、そういう趣味は全くない。
Perfumeもきゃりーぱみゅぱみゅもいわゆるテクノポップの現代版である。どの楽曲も近未来の雰囲気の中に、少女の空想の世界、抑揚のない歌い方による無機質感を漂わせながらも、何かメッセージ性だけは強い。実に独特のノリである。取っつきにくいが、一度ハマルと中毒になる。このPerfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも、すべての楽曲を提供しているのは、マルチクリエーターである「中田ヤスタカ」氏である。聞くと、Perfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも、歌い方のすべてに中田氏の指示が細かく飛んでいるそうだ。忠実にやらないと許して貰えない。なぜにそこまで管理したがるのだろうか。
この中田ヤスタカ氏は典型であるが、最近は楽曲作成に楽器を全く使わないという手法が普通になりつつある。いわゆるシンセサイザーというのが1970年代に登場して以来、生の楽器を使わなくても曲のベースができあがるというのが年々進行している。あの懐かしのYMOの楽曲は、生楽器を使用しないシンセサイザー中心の組み立ててあり、テクノポップと言われた。当然だが、中田氏の楽曲スタイルもこれに習ったものである。すべての音源はパソコンの中に「サンプリング」されていて、これをソフト的に如何様にも変化させることができる。音符も楽曲もなく、パソコン上の画面で、キーボードとマウスを使用して音楽を組み立てるのである。楽器は一切使わない。これは作曲なのか、画面の編集なのか良く分からないが、できあがりは素人には分からない。だいたい音質がパソコンで作ったとは思えないぐらいクオリティーが高い。
中田氏の頭の中には音楽のイメージだけがまるでクラウドのように浮かんでいて、その時々の雰囲気やニーズに従って、引き出しの中から自分の音源を選び出し、切り貼りで曲を仕上げていく。まさに右脳だけで曲を作っている感覚である。サウンドはパソコンからナンボでも自由に引っ張り出して加工できるが、ボーカルは生身の人間が歌うものだ。ここで中田氏はサウンド同様に、ボーカルにも、自分のサウンド・リズムに忠実に歌うよう強要するのだ。ボーカルも彼にとってはサウンドの一つに過ぎない。それ故に、全体の統合性は著しく整えられている。だから、最終的に受けるのである。こういう右脳だけが極度に発達した人間はただ者ではない。まだ若いそうなので、クリエーターとして、より腕を磨いて欲しいものだ。最後に一言注文。全体の曲は素晴らしいが、ドラムの音源は潰れていて安っぽく、あまり洗練されていない。これではメジャーに位置づけるにはまだまだほど遠い。もっと改善すべきである。
それにしても、きゃりーぱみゅぱみゅの「ファッション・モンスター」はティーンエイジャーの気持ちを代弁した名曲だなぁ~

Fashion_monster

誰かのルールに縛られたくはないの、我が儘、ドキドキ、このままで居たい、ファッションモーンスター、ファッションモーンスター、この狭い心の檻を壊して自由になりたいの

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