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2012年8月 3日 (金)

卑弥呼の右腕である難升米の正体は?

 

Nashime

Najima_view

googleの画像より(真ん中の角地が名島地区)

 

三国志における倭人条の記載では、なぜか卑弥呼が貰った金印のことばかりが取り上げられているが、実は銀印を貰った人物も居るのをご存じでしょうか?
『皇帝は難升米と都市牛利の旅の労苦をねぎらい、難升米を率善中郎将に牛利を率善校尉に為して銀印青綬を授けた』
卑弥呼とは別に、銀印が2つ倭国に授けられている。卑弥呼が貰った金印もこの2つの銀印も、今だ世に現われていない。まだ地中に眠ったままか、人手に渡って秘匿されているか、あるいは鋳つぶされて形が無くなったか。気になるところである。
また、246年には次のような記載もある。
『皇帝は詔して、帯方郡を通じて難升米に黄幢を仮授した。248年に邪馬台国と狗奴国の和平を仲介するために帯方郡の塞曹掾史「張政」が倭国に渡り、その際に難升米に黄幢と詔書を手渡して告諭するとともに、檄を飛ばした』
筑後平野の女王国と菊池川流域にあった狗奴国との間で内戦状態に陥った際に、魏国は女王国を支援するために、軍事顧問団をわざわざ日本に派遣し、卑弥呼の軍隊を指揮していた難升米に錦の御旗と檄文を託したのである。
いずれにしても、難升米は少なくとも238~248年までの10年間は卑弥呼体制の下で要職にあり、魏国と倭国の軍事情勢を橋渡しする重要人物であったことが伺える。では、難升米は一体何物か?この人物は古事記や日本書紀には全く登場しない。日本書紀では、「卑弥呼は神功皇后かもね」という曖昧な記載はあるが、その周辺人物で難升米に相当する名前は見えない。強いて言えば住吉大神なのだろうが、そもそも卑弥呼は独身のおばさんであった。神功皇后には仲哀天皇という夫が居たので、当然同一人物である筈がない。だいたい神功皇后は4世紀の人物なので、時代がズレすぎだ。
卑弥呼は直接魏国に渡海した事実はなく、その手足となって動いて居たのはこの難升米を中心とした使者である。魏国の皇帝に直接会って役職を貰ったり指示を受けたりするのだから、ある程度国際感覚があり、中国語の素養が少しは備わっていないと勤まらない。今で言えば、外務大臣か防衛大臣のようなポストである。
気になるのは役職名である。日本側に記録された官職名を見ると、彦(ひこ)、禰宜(ねぎ)、夷守(ひなもり)、日巫女(ひみこ)、年寄(としより)などが頻出している。これは今でも使われている古語である。その一方で、菊池彦など、地名を冠した名称もある。個人名としては耳垂(みみなり)、活目(いくめ)などが見える。難升米は「なんしょうまい」と呼ばれているが、そんな役職や地名は聞いたことがない。個人名のような気もしないではないが、古事記や日本書紀でもこういう個人名はあまり聞かない。もし当て字であれば、もう少し日本風に丸めた方がよい。弱めだと「なぁしいめー」、思い切り丸めると「なしめ」 あたりとなる。ここまで書くと、さすがに人名ではなさそうだ。そこで、地名を疑うと、たった一つだけだが、該当する地名が浮かぶ。それは福岡市東区にある名島(なじま)という地名である。
博多湾に突き出した標高50mの丘陵地帯とその麓が名島地区である。その背後には香椎宮がある。古代の船を停泊させた帆柱石がすぐ近くにあることから、弥生時代後期から古墳時代にかけての古代より、海上交通の要所である。特に御笠川河口にある高台なので、御笠川から筑後平野に向かう川筋航路、志賀島に向かう海上航路途上にある要所中の要所である。戦国時代もここは要所として認識され、山城が作られていたそうだ。
慶は難升米=なしま=名島だと考えている。この地区に筑後平野から交易を司る官が常駐し、魏国と倭国の外交を常に監視していたと考える。魏国の使者が港に入った時に、貢物や文書の食い違いがないかチェックしていたというから、その港に相当する場所はここであったと考えてよかろう。元々こうした外交交渉は伊都国が中心であったと思われるが、筑後平野にあったと思われる女王国は、歴代中国王朝の傀儡である伊都国にすべてを任せると好き勝手にやられるので、内政監視をやる「大卒」だけ任せ、実利の多い外交や交易は、伊都国を経由しない志賀島経由の独自航路を確立し、その要所である御笠川河口の高台に官を置いていたのである。後の鎌倉幕府と朝廷との関係に近い。へんぴな高い台で名島という地名なので、役職もその地名である名島を名乗ったのであろう。このことを証明するには、この名島周辺から、筑後平野で出回っていた土器の破片などが集中的に出土すれば十分である。今では住宅街なので、発掘することもできそうにはないが。
ちなみに名島=なじまの由来であるが、ここは河口にあった小高い島で、奴国の外れにあったから、「奴の島=なのしま=なじま」と変わったのではなかろうか。

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