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2012年1月21日 (土)

NHKのど自慢

日曜日の昼下がりになると、NHKで素人のど自慢大会が放送される。聞けば60年も続いているそうだ。出演者の顔ぶれから判断すれば当然だが、日曜の昼飯時にこの番組を欠かさず見るのは、間違いなく田舎者である。普通の人が普通に見ていれば、あまりの素朴さと演出のなさ、どこの誰だか分らない田舎の人たちの中途半端なカラオケを耳に垂れ流されて、面白いと感じる人が大勢なのだろうか。
村の秋祭りのイベントから進化していない演出。基本的に、どさ回りの余興でしかない。しかし、画面上の盛り上がりは半端ではない。何ちゃら町民文化センターは、超満員である。在京の民放番組など絶対来ないド田舎でもNHKは来てくれる。ここが、この番組の売りと信頼感なのである。普段街の名前さえ世間に知られていない田舎の人たちが、何十年か1回に巡ってくる全国放送のこの番組で、我が町のご自慢をやって目立ちたいという根性だけで持っているようなものである。しかし、視聴率から言えば、世間のほとんどの人が見ていないから波及効果は全然ないのだが。それが分らないのに盛り上がるから田舎者なのであろう。
慶は基本的に見ないから番組運営にケチを付けるつもりはないが、1点この番組の気に入らないことを申し上げたい。それは審査方法だ。まず審査員の姿が見えない。ソデの見切れたところに潜んで審査しているという。民放のものまねチャンピオンを決める番組を見て欲しい。審査員は複数、名前と顔を出して座っていて、歌い終わった後に各自が点数を入れて、その合計点で評価を行う。オリンピックの審査も基本的に同じだ。これが民主主義社会では当たり前のやり方、セオリーである。審査員も誰に何点入れたか明らかにされることで、自分の判断基準の正確さを聴衆から常に逆審査されているのである。かつてのオリンピックの審査のように、アメリカ人のパフォーマンスの時に、アメリカ人審査員だけが、他の国の審査員よりも飛び抜けて満点に近い点数を入れたりすれば、ブーイングの嵐になる。長い目で見れば、審査員も審査されているから、最終的にはできるだけ私情を廃して真剣に審査する。

しかし、のど自慢では審査員が姿も名前も出さず、一体誰がどの程度で、何を基準に何点を入れて合否を決めたのか、さっぱり分らない。密室政治ならぬ、密室審査だ。また決して全曲歌わせてくれない。ひどいとサビに入る前に「カーン」と結果が出てくる。歌い終わらないのに審査するということは、かなりいい加減で冷酷な審査であると言える。しかしゲスト歌手はフルコーラスで歌って帰る。素人中心番組でプロがフルコーラスとは、格の違いを見せつけるみたいで何かいやらしい。また何故かゲスト歌手の持ち歌でのど自慢をやると、大した歌唱力ではなかったのに、ほぼ間違いなく合格になる。主催者側がゲストにおべんちゃらでもやっているのだろうか。

ことほど左様に、この番組の審査の過程が不透明著しく、番組構成自体も高圧的かつ社会主義的である。また、参加者も審査結果にすごすごと納得して帰って行く。不透明な審査結果に不服で、司会者などに突っかかっても良いのに、そうしたことは全然起きない。「何で鐘一つなんだ!!」と暴れる人が居ても良いのではないか。これは水戸黄門も同じで、葵の御紋を出すと皆ひれ伏す。「それが一体どうした」と逆ギレする人が全然居ないのである。NHKを国家情報局と思い込んで、クレームを入れるとどこかで嫌がらせを受ける、あるいはテレビの前で変なことを言うとあの世に行けずに地獄に落ちると思っているのだろう。

この不透明な審査基準、進化しない時代遅れの演出でも60年間番組が持つということは、中身の問題ではない。公共電波の一部を田舎者が占拠したいという欲求と、事務的運営のために細かいことには口出しするなという国営放送側の意図がナアナアで談合した結果だと思う。こういう番組は全国放送でなく、その街の有線放送っでやっていただきたいものだ。

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