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2011年12月 9日 (金)

デジタル化で排除されたUFOと心霊写真

最近UFOネタと心霊写真ものがさっぱり流行らなくなってきた。前者は特番ものが集中する春と秋の番組改編時期に、後者は暑気払いのため夏休み時期によく特集がやられていて、お決まりのように矢追純一や稲川淳二が登場していたものだ。これらの出番がなくなった理由をつらつら考えると、1)噂話を公共放送の電波でやることの倫理的問題、2)画像のデジタル化、3)コンテンツの充実、などが考えられる。
なかでも大きいのは2)だろう。UFOも心霊写真も、デジタルカメラが世間に普及し始めると急速になくなった。銀塩写真というアナログ記録では僅かな感光イレギュラーでいかようにも画像が乱れていた。数多ある乱れが、見る人によって「人の手」になったり「背後霊」になったりする。極端な話し、100万枚に1枚でもおかしな映像があれば、いつでもどこでも心霊写真に化け、人々を恐怖に陥し入れることができる。しかし、デジタルカメラになると、こういう記録上のイレギュラーは起こりえない。CCDで捕らえられた画像はすべてデジタル信号に変換され、寸分の狂いもなく元の画像を忠実に再現して記録される。100万枚に1枚のミスも生じない。記録される段階でのイレギュラーは発生しえないのである。よって、「心霊写真もどき」は排除されてしまった。淋しいと言ってしまえばそれまでだが、デジタル機器の冷酷な写実性を証明するものでもある。UFOなどは完全にネタ切れで世間の話題から排除されてしまった。よって、矢追純一は伝説の狂言師ということになるのだが、視聴者も元々全然信じていないから、責任追及には至っていない。
このデジタルの冷酷さはあちこちで人との軋轢を生じさせているような気がする。現金引き出し機の前で、怒られっぱなしの老人が、行員さんを呼んで、「この機械はおかしい」とケチをつけながら操作をしている場面。その機械を利用した前後の客は何のトラブルもなく処理できている訳で、誰の目にも機械が悪いとは思えない。しかし、当人は機械が悪い、自分はおかしくないと思い込んでいる。寂しい。デジタルディバイドの悲しさ、機械の冷酷だけが際立つ瞬間だ。それにしてもアシストする行員さんはは「あんたが悪い」は言わずに律儀に対応してくれるものだ。偉い。
地上波テレビなどの時代、写りが悪い時は、テレビをたたいたりすると画像が少しだけ改善されていた。レコードの音質が悪い場合は、クリーナーなどで埃や汚れを丁寧に拭き取ると若干ノイズが減った。アナログ時代はこうした、「わかり易いケア」で装置モノはそれなりに応えてくれた。しかし今はデジタル時代なので、装置をいくら叩いても、自らの間違った使用方法を改善しない限り結果は変わらない。ちょっと前にパソコンの起動が遅い時に、上司が「早くしろ!」とモニターをしきりに叩いていたのを寂しい気持ちで眺めていたものだ。起動が遅いのはソフト的な問題であり、かつ問題のある部分は本体なので、モニターをいくら叩いても何も改善しない。どうせ言っても分らない人に言うだけ時間の無駄なので、ただただ無視するしかない。こういう時に、「教養の重要さ」をひしひしと実感するのである。
アナログかデジタルか、それは結果をどう解釈するかによってその価値の大きさは変わるということだろう。個人的には、すべてが総デジタル化する流れで、アナログの持つ余裕、遊び、バッファー作用は少し残して欲しいと思う。
以前自動車免許更新の際に、自分の前にヨボヨボの爺さんが視力検査をやっていたが、さっぱり見えない。すなわち、免許更新ができないほど視力は衰え、検査員との会話はもうろうとしているのである。さてさて、ここで免許センターの職員はどうするのだろうと思っていたら、
免許セ職員:「お爺ちゃん、車は運転しているの」
お爺ちゃん:「してない」
免許セ職員:「じゃあ、今から右と言ったら右、左と言ったら左と言いなさい」
お爺ちゃん:「うん」
免許セ職員:「これ右」
お爺ちゃん:「右」
免許セ職員:「これ左」
お爺ちゃん:「左」
免許セ職員:「はい、合格」
う~ん、アナログだ。実に融通が利くし、現実的に何も問題ない。機械相手ならこんな結論にはならない。こういうバッファーはこれから先もどこかに残して欲しいものだ。




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